談話室B「男色のめぐり逢い」

Q.1 貴方の男色への切っ掛けをお教えてください。
男色とは男が男を愛することであり、愛することには性の行為を含めてのことですからそこには当然異性同士と同様に愛憎があって性の衝動と性欲、そして性行為となるとタチとウケ、男と女の立場が生まれることになります。
恐らく男女も同様で男と女は交わり愛しみながらも互いの性を理解し合えず互いの性は近くて遠いものだと思う。
男色では互いが本質は同性だから互いの性の理解はあるものの抱きたい男と抱かれたい男の本質の性は男女と同様深い闇で理解できているようで理解できないものなのかも知れない。
私は20代の初めに早々と当時古希を目前にした爺さんに破瓜されて
男のものを身に受ける身体にされましたが、鮮烈に残る記憶はその時の強烈な苦痛と体内に射精された後の壮絶と静寂の落差、精魂尽き果てた状態で思考が停止しました。
不思議なのはあまりの苦痛と違和感にもうこんなことはしないと思ったものが終えてしまうと淡雪の様に溶けてしまい残された痛痒が身動き特に腰を下ろした時にあの時を思い起こさせその度に湧かせてしまう思い、それがかさなると思慕の思いになり彼の誘いに思わず声を甘くさせてしまう。
そして再び閨の床で以前にはできなかった媚を含ませ身を寄り添わせる。
最初の頃は節くれだった大人の怒張に怯え苦しんだものが束の間の苦痛だとわかりそれを耐えてまで受けることに被虐的な自己満足感もあってなにより自分の身体が男を満足させれることに喜びがありました。
淫水に焼けて幾人の生き血を啜ったのか赤黒く筋を浮かせた陰茎をしゃぶらされ喉に充満した精液を知り、股間に顔を埋め固く屹立さえたものに乗っかって咥え込む、男の呻きを察して締め付け腰を浮かせて奥深くに誘う。
そして熱い飛沫を浴びる。
男は私をいかせることで私の痙攣で締め付けを心地よく楽しむことを知っており私の中に逸物を収めてから腰を使いながら私をいかせて楽しむ。
射精を終えても容易に萎えぬものを収めたまま余韻を楽しむ。
その余韻の刺激に私はまた男の手て包まれていかさせられる。
私が飛び散らかしたものを太い指で掬い口に押し込む。
ようように衰え萎え抜けたものをそこに仕込んでくる、そのうち抜け落ちた後の大の字の男の股間に顔を埋めるのが習わしとなる。
交接の時にいかされた私のもの、彼はあからさまにそれを卵子と言っていましたがそれは交接の潤滑剤として使用され私の体内に押し込まれて彼の精子にかく乱されている。
お前の卵子と俺の子種が上下のオナンコで合体させているんだ、いつ妊娠してもおかしくないな、そう言って私の腹を撫で尻を撫でる。
精の強い人で週に2度3度は求められる。
流石に射精は月に数度でしたけれど古希を過ぎても朝立ちさせてる。
湯をあみ胸高にバスタオルを巻いた姿で開けてくれた布団に潜り込み身を添わせる。
無毛の腹から尻を撫でられ唇を受ける。
乳を吸い私の反応を見定めると頭を股間に押し込む。
股間に顔を埋め咥えると満足そうに手足を伸ばし心地よげに楽しんでいる。
合図を受けて腰に乗る、時に突き上げられてその時は腰を押さえられているから苦痛に顔を歪めるとしてやったりと悪戯っぽく笑う。
射精迄いくかはその日次第、あまり私が刺激的に振る舞うとおいおいと抑えられる、でも私は必ずいかせられる。
私が漏らす時の締め付けを楽しみながらある意味浮気封じに抜かれていたのだと思う。
時には69させられて私の漏らしたものを口に含んで口移しもあった。
4年かなぁ、最後はあっけなかった。
体調を崩して受診したら癌が見つかった。
入退院を繰り返して半年、葬儀は田舎で執り行われました。

私はお爺ちゃんに男色道に誘われて色の道を教え込まれました。
後悔はしていないし、出来るものなら添い遂げたかった。
今、私の残されたのは男色の世界でしか生きられない身体です。
もう30代の後半、40を前にして彷徨っています。

[Back]