余は男好きであるが、陸奥の大崎家騒動を他山の石として、男を愛するときは、必ず心に留め置くことがある。
陸奥国大崎地方を支配する大崎義隆はうつけ者である。無類の男好きで、その男色趣味が高じて、大崎家を没落させてしまったのだ。
ことの発端は、大崎義隆が新井田刑部隆景という小姓を溺愛したことに始まる。
新井田家は、大崎家中で重きをなす一族であったが、隆景も小姓の分際で、主君の寵愛を笠に着て傲慢なふるまいが目立ち、ほかの家臣たちと亀裂が生じた。
そんな折、主君義隆は性懲りもなく、ほかの小姓、伊庭惣八郎を愛するようになった。
これに怒った新井田隆景は、逆恨みして、惣八郎を暗殺しようとする。
この計画を洩れ聞いた惣八郎は、密かな愛人であった氏家吉継を頼った。吉継もまた大崎家中では勢力のある重臣であった。
かくして大崎家中は2派に分かれ、大きな内紛となる。
事態収拾能力のない義隆は、氏家吉継から隆景らの企みを聞き、うつけにも、当の隆景を直接呼びつけて、「有りのままに申せ」と詰問した。
しかし隆景のほうが一枚上手であった。
「私の知らぬところで、一族がそんなことを考えていたとは露知りません。だからと言って責任逃れするつもりはありません。私の首を差し出しましょう」
などと隆景は、殊勝なことを言った。
義隆は隆景をすっかり信用して「余が惣八郎をなだめよう」などと言い出す始末。
そして、隆景を居城の新井田城まで送り届けたところで、新井田一族に捕まって監禁されてしまう。
ここで余、伊達政宗の出番となる。主君をとられた氏家吉継や惣八郎は、余を頼って徹底抗戦に出る。
新井田隆景側もこれに対抗して、最上義光や黒川晴氏らを味方につける。
こうして小姓同士のいざこざは、奥州一帯を巻き込んだ戦に発展してしまった。
結果、大崎家は我が伊達家に服従せざるを得なくなり、それ以降、没落の一途を辿る。
これが大崎家凋落の顛末であるが、余はこのことから、いくつかのことを学んだ。
まず、相手が小姓であろうと軽んずることなかれ、である。人には心がある。心があればどんな小者であろうと、大きな禍になる可能性がある。
たとえば余が40代半ばの頃、只野作十郎という小姓を愛していた。
その作十郎が浮気をしていると密告を受けた余は、宴席で作十郎を厳しく非難した。
作十郎は身の潔白を示すため、刀で自分の腕を突き、起誓文をしたためて、余のもとに送り届けた。
作十郎の忠心を知った余は、すぐに侘びの長文をしたためて、作十郎に返した。
手紙の中で余は、作十郎にあらぬ非難をしたことを侘び、その弁解と作十郎に対する愛情の深さを、くどくどと申し述べた。
「――浮気をしていると密告を受け、どうしても貴方の心を確かめたくて、その気持ちを抑えきれず、つい酔った勢いで言ってしまった――余も、股か腕を傷つけて、応えるしかないと思うが、行水のとき小姓に見つかって、いい年をして似合わぬことを、と冷やかされれば、子供たちの恥にもなると思い、気持ちばかりが急いて暮らしている――返す返すも恥ずかしくてならない。どうか余の気持ちを分かってもらいたい」
作十郎は一介の家臣にすぎぬが、余は心を込めて侘び文を書いた。
これで一件落着。作十郎は以前にも増して余を愛し、忠誠を示してくれたのである。
余は浮気者である。子孫を保つため、多くの女を抱いて子を成したが、愛の対象を女から男に向けたのも浮気性からだし、男から別の男に目移りするのも浮気性からである。
余は男色趣味を隠すどころか、むしろ自慢にしている。
そのことが、大崎義隆のように浮気して部下に造反される、という失敗をしないコツかも知れない。お館さまは多情なお人なんだ――と最初から理解させ、あきらめさせることが肝要と心得る。
いっぽう、男との愛において、受け身と立ち身では情が変わってくる。
余はずっと立ち身できたが、歳を経てマラが思うように立たなくなると、ときに受け身の悦びも味わってみたいと思うようになった。
家臣の片倉小十郎重綱は、まさに余をそんな気持ちにさせる武辺者だった。朴訥な顔立ちと立派な体格をして、心もちは純情かつ素朴で、余のためなら仏にも鬼にもなるような男であった。
余が46歳、重綱が30歳のときであった。寝所に呼んで余の希望を伝えたとき、重綱は緊張からガクガクと震えていた。
律義者の重綱にとって、主君を我が身の下に組み敷いて、その尻を犯すことなど、とても考えられぬことだったのだ。
そこで余は一計を案じた。
まず重綱に裸になるよう命じた。フンドシを解いたとき、予想通りの立派なヘノコが現れた。皮がめくれてカリもよく発達している。フグリも重々しくぶら下がっている。
重綱を仰向けに寝かせて、ヘノコやフグリを思いのままに弄んだ。壮年男の逞しいオトコを手にするのは、奇妙な気分
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