「掃き溜めに鶴」ということわざがあるが、植木悠平の場合は「掃き溜めに天子」といったところだろう。劣悪な環境の中にいても、幼い天子のような清らかさを生まれながらにして備えていたからだ。
悠平が生まれたのは、足立区の千住の中でも戦後、赤線があったエリアである。母親は、羽振りの良かった旦那のめかけだった。最初でこそ暮らしぶりは安定していたが、そのうち商売に失敗した旦那に捨てられた。
路頭に迷った親子は、高齢の伯母がひとりで暮らす、浦和の家にたどり着いた。柳腰の母親は、雑貨店の売り子をしたり、家で縫い物をしたりして、一人息子の悠平を養った。
隣の家に悠平と同い年の、和子という女の子がいた。二人は隣同士ということもあって、小さいころからよく一緒に遊んだ。いつも和子のほうがお姉ちゃん役でまめまめしく悠平の世話を焼いていた。
伯母は高齢だし、母親も朝から晩まで働いていたので、悠平は小学生のころから家事を手助けした。それこそ朝晩の食事の支度から、掃除洗濯までだ。
几帳面な彼は、万事手抜きをしなかった。とくに料理は安い食材を使ってレシピ以上のものを作るので、母親と伯母を驚かせるほどだった。
悠平は高校を卒業すると、浦和の割烹料理店に住み込みで働きだした。病弱な母が心配だったが、朝晩の仕事があるので通いは無理だった。
店では早くから頭角を現し、彼が任せられる料理も増えていった。
働きだして5年が経過した頃、店の馴染み客だった陶芸家の誘いを受けて、陶芸教室に行ってみた。試しにろくろを回して、湯のみを作った。意外に面白い。
粘土を成形し、乾燥させ、素焼きする。それから釉薬がけして本焼きする。
出来上がった陶器を見て、陶芸家がうなった。
「初めてにしては、なかなか見事な出来栄えだ。技術的には未熟だが、独特の味わいがある」
単独で作業する陶芸は、職人肌のこだわりを持つ悠平の性に合っていた。いつしか空いた時間は、陶芸教室に通うようになっていた。
そのうち、悠平の才能を見込んだ陶芸家が誘いをかけた。
「どうだ、陶芸の里に来ないか。わたしのもとに弟子入りすれば、毎月の給料も出すぞ」
そう言って、今の割烹料理店の給金以上の額を提示した。
陶芸家の佐山は、和紙造りで有名な小川町の山林に居を構えていて、普段はそこで陶芸の窯焼きをしている。50代の独身で、小柄な体つきをしていた。
父親の年代の男性にあわい憧憬の念を抱いていた悠平は、迷った末、佐山の世話になることを決心した。
陶芸の里は、小川町でも民家から離れた所だった。茅葺屋根の家に、佐山一人で住んでいた。悠平は陶芸の修行だけでなく、家事いっさいをやらなければならなかった。しかし、小さいときから家事に慣れていた悠平は、それを苦とも思わなかった。
佐山は優れた陶芸家だったが、仲間内では変わり者で通っていた。生涯独身を貫いていたうえ、酒癖が悪かったからだ。
普段は温厚だが、酒を飲むと人が変わったように怒りっぽくなる。これまで人と喧嘩をして、警察沙汰になったことも何度かある。
悠平はいっしょに生活していて、そのうち佐山の性癖を知ることになった。そのときは、作った陶器を投げ割ったり、悠平自身も殴られたりした。
それでも悠平は我慢した。母に仕送りする給料をもらうため、そして面白くなった陶芸の技を磨くためだった。
それに小川町の自然風景が好きだった。
秋のこの季節、ハゼが紅葉して、まるで夕陽のような暖かいオレンジ色に輝いている。紅葉を見ていると、自然にくちずさむ。
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた〜♪
サトウハチローの詩だ。その3番にハゼノキが出てくる。
はぜの葉 あかくて いりひいろ〜♪
この入日色を見ていると、なぜか心が騒ぎだす。オレンジ色に緑色や赤色が重なり合い、色彩の大合唱だ。いつかは陶器で表現してみたい、と思っていた。
陶芸の里で働いて10年の歳月が流れた。
師匠の佐山は、このころ寝込むことが多くなった。酒の飲み過ぎで、肝臓を悪くしていたのが原因だった。
そんなとき幼なじみの和子から、「ハハキトク」という電報が届いた。
慌てて駆けつけたが、救急病院に着いたときには、母は帰らぬ人となっていた。
呆然自失した悠平に代わって、和子が葬式その他の手続きをすべてやってくれた。彼女は一度結婚して、独身に戻っていた。
悪いことは重なるもので、悠平が陶芸の家に戻ったとき、佐山が嘔吐と発熱で苦しんでいた。あわてて救急車を呼んだが、総合病院に運ばれる途中、佐山は死んでしまった。急性胆管炎だった。
今度も和子がやって来て、いろいろの雑事を引き受けた。彼女が依頼した星野という法律家が、佐山の遺産の処分等、法的な諸手続きをやってくれた。
和子は浦和の市民病院で看護婦として働いていたが、わざわざ悠平のために休みを取ってき
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