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翔から電話があって、ヤンキースに行きます、と聞いたときは天まで上る気分だった。これでわたしは異なる二つの球団で、翔を迎えたことになる。
わたし(ボブ・マッカロー59歳)は、ジャイアンツ時代同様、新チームでの翔の役割についてじっくりと話し合った。ヤンキースには外野手が多いので、翔にはDHとして出てもらいたかった。守備の負担が減る分、打撃に専念できるし、投手としての体力も温存できる。わたしは本音で話した。
「わたしは59歳だ。いつまで監督をやれるか分からない。でもきみはまだ若い。これからも進化するだろう。だから、きみが最大限のパフォーマンスを出せるよう、試行錯誤しながら最善を尽くしたい。きみと二人三脚でね」
翔は快諾した。「監督が望むなら、いかようにも」
彼は28歳、まだまだ進化できる。彼が投打の二刀流を極めるよう、わたしは最大限の努力をするつもりだった。
12月に入って、翔はトレーニングを開始した。WSで痛めた左膝は気にならないほど治癒したようだ。新しいトレーニング方法だと聞いたので、見学させてもらった。
翔はマットの上で床運動をしていた。仰向けにブリッジして胸を反らせ、ヨガ体操に似た恰好である。体の柔軟性が無いと到底できない姿勢だ。
指導するのは水原というトレーナー。前トレーナーの小田の紹介でチェンジした男だ。年は50歳、本業は整体師だが、スポーツ・トレーニングで独自の手法を開発した。以前から翔のプレーに注目していて、鞭のようなしなりとバネのある動きが、自分の提唱する体幹スポーツに近いと考えていた。そこで翔の持っている能力を最大限開花させたい、という。
水原はずけずけとものを言う男だが、実直な性格の持ち主のようだ。彼の言う体幹スポーツとは、腕や肩より、胸部や背筋のしなりを使って、投球やバッティングを行う手法だった。
普通、活躍するスポーツ選手が、これまでと180度違うトレーニングに切り替えるのは、相当の勇気が要るだろう。しかし翔には、理論に納得すれば何事にもチャレンジしてみる勇気があった。
年が明けてキャンプが始まった頃、翔の動きが目に見えて、以前と変わっているのに気がついた。全身の柔軟性が増し、胸部のしなりと肩甲骨の可動域が、大きく広がっている。
翔はトレーニングの後に、プールで泳いでいたが、水原トレーナーの勧めで、4泳法に切り替えていた。つまりクロールと背泳ぎにプラスして、平泳ぎとバタフライである。翔に聞けば、高校時代まで水泳の個人メドレー競技もやっていたので、4泳法は難しいことではないらしい。
投球や打撃の実戦練習では、水原の指導により、『自然体と呼吸法』を意識しているという。全身の力を抜いてゆったりと構える。息を吸い、息を吐く。そして次の動作に移る。一度始動すれば、全身を使うのでトップスピードが出やすい。
確かに、バッティングのコンタクト率があがり、投球コントロールも良くなっているようだ。
いよいよ開幕日、わたしはだれよりも早くヤンキー・スタジアムに到着した。白地に縦縞のユニフォームを着ていると、身の引き締まる思いがした。
球場のグラウンドに出て大きく深呼吸した。収容人員5万人を超える観客席は、下から見上げると迫力があった。ふたたびヤンキースの一員になれたんだな、と改めて実感した。
ヤンキー・スタジアムは特徴的な形状をしている。外野フェンスが左右非対称の形状で、右翼側が96メートルしかなく、逆に左中間は122メートル、センター124メートルとMLBの球場でも屈指の広さがある。
それだけにライト方向のホームランが出やすい一方、レフト方向は、2塁打3塁打の長打が出やすい。
試合が始まって有栖川翔の名前がアナウンスされると、球場内に怒涛のような歓声が沸き起こった。それだけ翔への期待が大きいと言うことだ。
翔は2番DHで出場したが結果は惨憺たるものだった。4打数ノーヒット、内2三振だった。まだ体幹で打つ技術が、自分のものになっていないようだ。
第3戦は先発ピッチャーで出たが、これもぱっとしない成績だった。5イニングまでに4点取られ、そこでリリーフに交代させた。
4月は投打の不調が続いたが、翔は一度始めた体幹野球を、変えるつもりはないようだ。わたしも翔の意志のかたいのは知っていたので、黙って使い続けていた。しかしファンは、ヤジを飛ばす人間が増えていた。翔は気にも留めず、三振しても悪びれず堂々としていた。
5月に入って最初の試合、それまでの鬱積を晴らすように、翔は打撃で爆発的なパフォーマンスを見せた。
第一打席、いきなり左中間に三塁打を放った。2打席目には、うまくカーブを捉えて、右翼席にホームランを打った。軽く振り抜いただけなのに、いとも簡単にボールがスタンドに飛び込
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