(9)死と真実

ハルさんが浮かぬ顔をしている。理由を聞くと、近頃ゲンさんの元気がないという。そういえば良平から見ても、覇気がないように感じていた。
何か悩み事があるのか、それともどこか体調がすぐれないのか。いくら頑健だといっても、ゲンさんはもう80歳になるのだ。

1週間ほど留守にしていたスギさんとテッちゃんが戻ってきた。なんでも千葉の漁業の応援に行っていたという。
土産が豪勢だった。東京湾で獲れた25キロのクエと数匹のもみじ鯛。いずれも高級料亭でしかお目にかかれない超高級魚だ。
ゲンさんの腕の見せ所であるが、彼は調子が悪いからと、調理の助太刀にスギさんを指名した。良平は、スギさんが選ばれたことが意外に思えたが、達人が見れば料理の心得があるということだろう。
良平も興味があって、調理を見物させてもらった。
もっぱらゲンさんが指示を出し、スギさんが包丁をふるった。結構手際が良いのに驚いた。まず、おろしたクエの肉を紙とビニールで包み、氷を詰めた容器に入れる。これから毎日紙を取り替えて、1週間ほど寝かせるという。
もみじ鯛は真鯛のことだが、秋に獲れた鯛をこう呼んでいる。産卵を終えた鯛は秋に入って身を太らせ、脂をつけていく。
この夜は、もみじ鯛に加えて、トロやエビ、タコなど、旬の握りが晩飯に出された。ふっくらとしたシャリと旬のネタを合わせた握りは、思わずうなる絶品の味だった。加えて、こだわりのゲンさんらしく、寿司に合うほどよい旨味のお酒も添えられた。

それから1週間後、待ちかねたクエ料理が出された。この日はあけぼの荘の住人だけでなく、町からも10人ほどの来客があった。顔色は悪かったが、ゲンさんはこまごまとした指示を出して、スギさんを使っていた。
刺身や握り寿司、鍋、ねぎまの串焼き、内臓は湯引きして酒のつまみ、とクエ料理のオンパレードだ。とくに握りが秀逸だった。少し厚めに切られた身を噛みしめるたびに、濃厚な甘みとしっかりした脂がすばらしい。この強い旨みが酢飯と合わさって、ほかの白身では味わえない明快な握りとなっている。
期待通りのクエ料理のご馳走に、一同、目を細めて舌鼓を打っていた。
それに、いくらゲンさんの指示通りだとはいえ、スギさんの料理の腕前も相当のものだった。

そんなある日、東京の母が、胆嚢の摘出手術で入院したという知らせが来た。
良平はすぐ工場に届け出をし、休暇を取って東京に戻った。
ところが母はすでに退院して、自宅療養していた。それも至って元気そうだった。母が言うに、最近の手術は内視鏡でやるので、昔のように大きくメスを入れないから、治りも早いのだという。
「でも、良ちゃんも気をつけなさい。もう若くないんだから。人間ドックは毎年受けてるの?」
「大丈夫だよ、母さん。ちゃんと受けてるから」
「そう、ならいいけど。あなたは小宮家の跡取り息子なんだから」
母の言葉が気になった。父はとっくに忘れ去られた存在なのに、なぜ母は小宮の名前にこだわるのだろうか?その疑問を母にぶつけると、母は驚いた顔で良平を見て、そこで納得したように言った。
「あら、いやだ。言ってなかったっけ。小宮は私の家の姓よ。あの人は養子でうちに来たの」
「ええーっ!だってお爺ちゃんは高畑って姓だから、てっきり母さんの旧姓は、高畑だって思ってた」
「お爺ちゃんは次男坊で、高畑家に養子に行ったのよ。だけど私は小宮家を継いだの」
「じゃあ、父さんの旧姓は?」
母が答える前からドキドキした。
「たしか、木原だったわ」
(やっぱりな)予想通りの返答だった。キーさんは実の父親だったんだ!
想いを巡らす良平の顔を見ていた母が、静かに話しだした。
「実はあの人がいなくなって2年ほど経った頃、手紙が来たの。消印は福岡県になっていたけど、たぶん旅先からだと思う。黙って家を出た侘びと、もう戻る気はないので離婚してくれ、自分は旧姓に戻る、などのことが書かれていた。そして離婚届が同封されていたの。少し悩んだけど、結局、離婚手続きをしたわ」
母は良平の顔が見辛そうだった。「あなたには言いそびれていたの。だってあなたは、父さんのことをずっと慕っていたから」
良平は、木原茂――父が2年前に死んでいることを、母に伝えるかどうか迷ったが、結局黙っていた。今さら母が知っても、なんにもならないと思った。
東京には1週間いた。有給休暇が残っていたし、何カ所か寄りたい所もあったからだ。

あけぼの荘に戻ったとき、何か変だと感じた。
理由はすぐ分かった。ゲンさんが死んだのだ。死因は心筋梗塞だった。
すでに葬儀は終わっていて、本人の希望で遺灰は海に流したという。
その日の晩飯は、スギさんの料理したものだった。どうやらスギさんは、ゲンさんの後を継いで、『無法松』の板前になるつもりのようだ。
久しぶりに高木取締役と食事していると、ハ
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