(9)四国お遍路

雲ひとつない青空、眩しいばかりの陽光のもと、有栖一郎はゴルフをしていた。川越の奥地丘陵地帯にある、緑あふれる広大なゴルフ場である。
8年間区長をやったご苦労さん会を兼ねて、高校クラス会の有志が、一郎のためにゴルフ親睦会を用意してくれたのだ。総勢8名、2組に分かれて和気あいあいとプレーした。
一郎は、さほどゴルフに熱を入れていない。だからスコアにこだわらず、大自然を肌に感じながら、仲間たちとのプレーを楽しんでいた。馴染みのある中村春夫が同じ組にいるのも、安らいだ気持ちにしてくれる。

グリーン上でパターを構えたときだった。携帯電話が鳴りだした。どんな時でも携帯電話を離さない、区長時代の習性がまだ残っていた。
――もしもし。聞き慣れない男の声だった。
こちらは徳島県警です。そちらは有栖一郎さんですか。――実は有栖謙治郎さんが事故に遭われまして――。
にわかに胸騒ぎがしだした。それに仲間たちの声で、電話が聞きづらい。一郎はグリーン上から出ると、離れたところに移動した。
警察官が言うに、謙治郎が徳島の太龍寺近くで崖から落ちて死亡した。おそらく巡礼途中の事故だという。
通話が終って呆然としていると、中村春夫が近づいて来た。
「イッちゃん、どうしたんだ?」
「謙治郎が死んだ。これから出かける」
一郎は気が抜けたように言うと、そのままクラブハウスの方に歩きだした。

一郎は長男の淳一郎を伴って、謙治郎の遺体を収容してある、徳島県の那賀町に来ていた。新幹線から在来線に乗り継いで、あとは車でしか来れない辺鄙な町だった。
遺体安置所で謙治郎の死顔を確認したとき、厳然たる事実に直面して体中の力が抜けた。それまでは、人違いであってくれという一縷の望みがあった。淳一郎は弟の死体を見て、声を殺して泣いていた。
しかし一郎は涙を流さなかった。それよりも、次男坊の心の動きを推し量ろうとしていた。つい半月前、息子と話した内容――謙治郎が2カ月の休暇を取って、四国88カ所巡りをする、と言ったときだ。
そんなことをして何の目的があるんだ、と一郎が言ったとき、息子は笑って答えた。父さん、目的とか損得とか、そんなものじゃないんだ。何て言うか――物欲を離れた精神的な何かが見えてくるかな、と思って旅をするんだ。
現実的な長男と違って、謙治郎には夢想的なところがあった。電子工学を学び、IT企業で働いているのとは裏腹に、縄文時代などの歴史に興味を持ち、一方で精神世界に何かを求める。一郎には理解できないことだった。

殺風景な安置所をでると、係官は遺品を出してくれた。
白衣や菅笠、金剛杖、数珠――謙治郎がお遍路で身につけていたものだ。汚れた白衣や破れた菅笠が、悲惨な事故を物語っていた。
バックパックには、数枚の着替え、ビニール袋に入れた納経帳やマップなどが詰められている。別ポケットにはキャンバスノートと筆記具があった。ノートをめくると、1番札所からの行程や感想メモが、びっしりと書かれている。
ほかに皮の財布があった。現金2万5千円ほど、あとはカード類とチケットの半券が入っていた。
「ご遺体はどうされますか?」
遺品の受取証にサインすると、係官が尋ねた。
一郎は少し考えて、「息子が転落死した、舎心嶽という所を見てみたい。遺体をどうするかは、その後で決めていいですか?」

四国21番札所の太龍寺には、ロープウェイに乗って行った。大きなゴンドラだが、下を覗くと怖いほどの高低差をぐんぐん昇って行く。かなり長い。10分ほどで山頂近くの駅に着いた。
老杉の並木が聳え立ち、境内には古刹の霊気が漂っているようだ。白衣姿の巡礼者たちが、黙々と歩いている。
事前の情報にしたがって、本堂には向かわず、左へと進む。舎心嶽という岩山はすぐ見えたが、そこに辿り着くまでが、かなりきつい山道だ。同行する淳一郎がぶつくさ言いだした。二人とも革靴を履いていたので、歩き辛かった。
ようやく、舎心嶽に着いた。ごつごつした岩の上に、ブロンズ像が座っている。弘法大師の像だ。周囲は近づくのが怖いほどの崖になっている。謙治郎の遺体はこの崖の下で見つかったという。
――こんなところで、お前は何を求めていたんだ。

下に戻ると、警察の係官を再び訪ねて、こちらに火葬場があるかと訊いた。
あると答えたので、「じゃあ、こちらで火葬にします」と言った。横で淳一郎が驚いた表情をしている。
一郎は一大決心をしていた。謙治郎の遺志を継いで、自分が四国88カ所の残りの札所を巡るのだ。
長男と二人で略式の葬儀を行ったあと、地元の火葬場に行った。そこで一郎は、遺骨でなく遺灰にしてくれ、と頼んだ。
焼却後、遺灰がビニール袋に入れられているのを見て、息子の尊厳を損なうように感じた。このままでは袋が破れる恐れがあるので、防水加工した丈夫な紙の箱を買い求め
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