(1)
主の喜一郎に、明日から旗本の永井嘉右衛門さまのもとでご奉公しろ、と言われたとき、菊蔵は愕然とした。
「あのう、旦那さま。わたしがお嫌いになったのでござりますか」
菊蔵は恐る恐る訊いてみた――多少の恨みを込めた眼つきで。
「そうではない。わたしも困っているのだよ」
主は首をかしげて眉を曇らせた。「でも仕方がない。お館さまが、お前を見初められたのだ」
にわかには信じられない話だった。自分が15、6の陰間ならいざ知らず、今や40歳になる大年増だ。で、素直に疑問を投げかけた。
「私のような爺を、お館さまが見初められたとおっしゃるのでござりますか?」
「爺と言うが、お前にはまだまだ男を狂わす艶がある」
主は泰然とほほ笑んで、おもむろに言った。「お館さまは若い陰間より、人生に熟(こな)れた年寄りを好まれておられるのだよ」
そこで厳しい眼つきになって菊蔵を見た。「それとも何かい、お前はお館さまが嫌いなのかい。だから行くのが嫌なのかい」
「とんでもございません!」
菊蔵はあわてて否定した。むしろ見初めたのは菊蔵のほうだった。直接声を交わしたことはないが、遠くからお館さまの凛々しいお姿を見るにつけ、胸のときめきを覚えていたのだ。
菊蔵が反発しないのを見て、主は、これで一件落着と安堵した。
自分の部屋に戻って身支度をしながら、菊蔵の頭の中ではさまざまな思いが駆け巡っていた。
永井嘉右衛門さまは旗本二千石の当主で、御年52歳になられる。その年齢にも拘わらず、きわめて壮健で、肌浅黒く筋骨たくましい、まさに武将の鑑というようなお人だった。そんな雲上人がまさか自分を召されるとは――。
長年慣れ親しんだ旦那さまの元を離れるのは少々寂しいが、片や雲の上に昇るような高揚した気分もあった。
菊蔵は京に生まれ、口減らしのため幼くして江戸浅草の陰間茶屋に売られた。
子供時代は菊丸と呼ばれていた。ほっこりとして京人形のように可愛らしい風貌から、僧侶や旦那衆に人気があった。馴染み客の一人、薬種問屋の喜一郎に身請けされたのは、菊丸が18歳のときだった。このころ男の象徴(しるし)も大きくなって、陰間のあとの職業を考えていた矢先だった。
以来20年あまり、菊蔵は喜一郎の元で商いを教え込まれ、また夜は閨に引き込まれて男同士の契りを交わしてきた。
(2)
九段坂のお屋敷に行くと、古風な風貌の老武士が出てきた。武士は堀井長兵衛と名乗り、菊蔵のためにあてがわれた部屋に案内した。
屋敷内は線香の匂いが漂って、なにか仏事でも行われているのかと思えた。
その疑問はすぐに解けた。
部屋に落ち着くと、長兵衛がおもむろに話した。
「実は、近習の葛城親助が、何者かに殺された。お館さまのご寵愛を受けていた男じゃ。今夜はお館さまと親助の別れの儀式がある。その前に、遺体を浄めておきたい。そのほうも手伝ってくれ」
長兵衛の後について湯浴み場に行くと、裸にされた親助の遺体が、土間に敷かれた蓆の上に横たわっていた。年の頃、菊蔵と同じくらい、童顔で眠っているようにおだやかな死に顔だった。しかし生気のない肌は青白く、福々しかったであろう体も、小さく固まっていた。首についた刺し傷を目にした途端、親助の断末魔の痙攣を想像して、菊蔵は思わず身震いした。
長兵衛は作業の前に、着物を脱いで褌姿になった。菊蔵も長兵衛に倣った。菊蔵は色白だが、裸になった長兵衛も、武家にしては意外なほど色が白かった。
ふたりは、遺体を風呂の湯で清めた。そのあと長兵衛が、小型のフイゴのような革袋を持ってきた。
長兵衛は菊蔵に手伝わせて、親助の体を横向けにし、腰を曲げようとした。遺体は硬直して、作業はなかなか思うようにいかなかった。そのあと長兵衛は、フイゴを手に取って温泉の湯を吸い取り、革袋から突き出た竹筒の先を、親助の尻に向けた。
このとき菊蔵は、フイゴの用途を初めて知った。体内に湯を注入して、内部を洗浄する道具だった。湯を注入されて、遺体の腹が膨らんだ気がした。
長兵衛の命令で、菊蔵は死体の腹を押したり撫でたりして、注入した湯を体外に押し出した。腸内の汚物をすっかり洗い流すまで、それを何度か繰り返した。
そのあと長兵衛が、香油を指先で掬い取って、親助の後ろに塗り付けだした。外だけでなく内部まで塗り込めようと、二本の指を挿入する。
見ていて菊蔵は、仏を冒涜しているようで、気分が悪くなった。
「なんで、こんなことまで――」思わず菊蔵はつぶやいた。
長兵衛は作業を続けながら、諭すように言った。
「お館さまは情の深いお方じゃ。だから今夜は、親助と最後のお別れをなさる」
長兵衛の言葉の意味に気づいた。なんとお館さまは、死人と別れの契りを結ぶというのだ。
(3)
次の日、堀井長兵衛が部屋にやってきたとき、菊蔵はふと昨日のことを
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