(1)
狭間一平の性生活は、高校時代に始まった。
彼は野球部のエースピッチャーで4番バッター、それに身長180センチのスマートな体格と、切れ長の目をしたハンサムな顔立ち――当然のことに、女子学生たちに良く持てた。
一平の住む大分の田舎は、夜這いなどが横行して、性におおらかな地方だった。彼は近づいてくる女子学生たちと、片っ端から性交した。
母ひとり子ひとりの母子家庭だった。勉強もしないで、女の子とつるむか、そうでなければ、野球ばっかりしてる、と母親は嘆いた。
親元を離れて東京の大学に行くと、性のターゲットは年配男性に変わった。高校3年のとき、性交した女が妊娠した挙句の堕胎騒ぎがあって、もう女はこりごりだという思いがあったからだ。
それに父親知らずで育った一平は、年配男性に対してある種のあこがれのような感情を持っていた。
下宿先の大家を皮切りに、アルバイト先の親父、大学の英語講師やゼミの教授、はたまた野球合宿時に親しくなった管理人――彼が性的に関係した熟年男性の数は、高校時代の女子学生と変わらぬ発展ぶりだった。
大学野球でも活躍していた一平は、プロ球団の勧誘を受けたがその道に入らず、ある大手のデベロッパー企業に就職した。
建築を専攻していた一平にとって、予定外のコース変更と思えたが、何のことはない、たまたま懇ろになった年配の男性が、その企業の重役だったからだ。
一平は入社したその年に、同じく新入社員だった短大卒の乙羽恵子に恋をした。恵子は浅草で日本舞踊を営む旧家の一人娘で、一平好みの締まったナイスボデーをしていた。
最初の内、恵子は、男女の恋愛にさほど関心を示さなかったが、そこは百戦錬磨の一平のこと、あの手この手で籠絡して、とうとうモノにした。結果彼女は妊娠して、二人は知り合って1年と経たずに結婚した。
(2)
新婚生活は、恵子の実家で始まった。恵子は音羽家の一人娘だったので、踊りの名取を継がなければならなかった。そのため一平は入り婿となり、姓も妻の音羽姓に変えた。
このことについて、一平の母からは特に反対も無かった。狭間の本家は存続していたし、一平が狭間の姓を守る義務もなかった。
面白いことに、恵子の父親も入り婿だった。音羽京弥は50代半ば、都市銀行に勤めていた。高卒のうえ欲がないのか、課長止まりで満足しているようだ。
義父は小柄でほっそりとして、どことなく平安時代の公家を思わせる容貌をしていた。押し出しの強い義母に比べ、義父は典型的な入り婿タイプ――つまり影の薄い存在だった。
浅草にある音羽の家は、けいこ場も兼ねていたので、日中は踊りを習いに来る女たちで賑やかだった。何かの催事があれば、夜も女たちが出入りした。
そんなときは、圧倒的少数派の男性陣――義父と一平は、肩身の狭い思いをしていた。義父は、同じ入り婿という同類意識が働くのか、一平に対して温かい愛情を抱いているようだ。その上、ともに大分県出身と分かってからは、より一層の親近感を示すようになった。
結婚して5年が経ち、子供は3人になっていた。女・男・男である。当然のことに義父母は、孫たちに目が無かった。
義母はあまり一平を評価していなかったが、ひとつだけ認めた点がある。
三社祭りで一平が、町の衆に加わって神輿を担いだことである。締め込みに法被姿の一平は、けっこう様になっていた。
お祭り好きの義母は、婿が神輿を担ぐことになって、町内に顔向けできることが嬉しいようだ。
(3)
一平と恵子の夫婦仲は、じょじょに悪くなっていた。
ともにひとりっ子で育った二人は、自己主張のぶつかり合いが多かった。恵子は3人目の子供を産むと、これで打ち止めというように、夜の求めに応じなくなった。
まだまだ精の放出欲の強い一平にとって、我慢できないことだった。
外で性欲を発散するしかないが、いっぽうで、学生時代の遊び疲れか、他人との性的関りに倦怠を覚えていた。
そんな時期に、義父が右足を捻挫して、自力で風呂に入れなくなった。
濡れタオルで夫の身体を拭いてやるような心掛けは、義母にまったく無かった。仕方なく一平が、義父の介添え役をすることになった。
それが結果的に、二人の急接近に繋がるきっかけとなった。
それまで一平は、音羽家の中で控えめな義父を見るにつけ、心惹かれるものを感じていた。彼はおとなしくて受け身タイプの年配者に弱かった。自分が庇護してやろうという気持ちになるのだ。それでも義父とは距離を置いていた。
足に故障のある義父を風呂に入れるとき、一平はまず自分が素っ裸になって、義父の体を支えながら、シャツ、ズボン、パンツと服を脱がしていく。
浴槽に入るときは、義父の体を横抱きにして、そのまま一緒に湯に浸かった。
最初の内、義父は面映ゆい表情をしていたが、やがて安心して身を委ねる
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