第6章 気になる老人

(1)

藤森常務とスパリゾートに行ったとき、温泉で目にした老人の艶めいた裸体は、しばらくぼくの脳裏に残っていた。気になる老人だった。知っているような顔だが、思い出せない。喉元まで出かかって、出てこない――なんとも、もどかしい気分だった。

5月に入って、会社の創立記念日の後、節目の年だということで、記念品を取引先に配ることになった。それぞれの企業の担当者ごとに配分が決まって、ぼくは5社分を任された。いずれも相手は重要人物ばかりなので、失礼にならないよう細心の注意を払って訪問した。
最後はОK食品の神谷という相談役で、一度名刺交換したが、いつも重役のお供だったので、直接話したことがない。訪問する前に電話をすると、都合がつかないので、19時に住居としているホテルまで来てくれと言う。
そこで思い当たった、気になる老人は神谷相談役に似ていたのだ。

その日の19時10分前、ぼくは都内の一流ホテルに入った。エレベーターに乗って15階で降り、教えられた番号のドアをノックした。
現れたのは70歳前後の老人――やはりそうだった。スパリゾートの温泉で見かけた、魅惑の老人だった。
相談役は風呂上りなのか、バスローブを羽織っていた。
「やあ、いらっしゃい。風呂に入っていたので、こんな格好で失礼するよ」
神谷老人はにこやかに言って、ぼくを部屋に入れた。
老人に導かれて部屋の奥に向かいながら、この前見たしなやかな後ろ姿を思い出して、ぼくの心はざわめいていた。
老人は、背は低いが小男というほどでもなく、ほっそりとした体つきをしている。白髪、小顔で、飄々とした性格を思わせる顔立ちだ。

「きみと直接話をするのは、これが初めてだったね」
ソファーに落ち着くと、神谷相談役は穏やかに話を始めた。
ぼくは丁寧に頭を下げた。
「はい。いつも私は、藤森常務の脇に控えているだけでしたから」
「そして私も、内の社長たちの端に控えているだけだったからね。お互い、話をするのは無理な状況だったわけだ」
相談役は笑って、何気なく付け加えた。「きみは相当、藤森常務に気に入られてるようだね。藤森さんが来られるときは、いつもきみが一緒だ」
少し胸騒ぎがしたが、ぼくは丁寧に返した。
「さほどでもございません。たまたま空いているのが私だけ、ということだったと思います」

記念品を渡したあと、相談役はぼくを引き留めて、なお会話を続けた。
「ところで、きみ、私たちはスパリゾートの温泉風呂で会っているけど、気づかなかった?」
老人に質問されて、ぼくの頭はフル回転した。(そう来たか。どう答えよう。まさか素敵なお尻をしていますね、なんてこと言えないし)
ぼくは驚いたように言った。
「神谷相談役だったんですか!よく似た方だとは思いましたが、まさかという気持ちのほうが強くて」
「ほう、結構、役者だな――」
相談役は独り言のようにつぶやいて、今度は、はっきりと言った。「私はきみに気づいていたけど、せっかくきみと藤森さんがアバンチュールを楽しんでいるのだ。それを邪魔したくないから声をかけなかった」

ぼくは文字通り、心臓が喉から飛び出るほど驚いた。頭の中が真っ白になって、もう、何と答えようか、言葉が浮かんでこなかった。
そんなぼくを面白そうに見ながら、老人は話を続けた。
「藤森さんが若い男好きというのは、前から知っていた。それにアナルセックスの信奉者だということもね――」
ぼくは言葉もなく、ただ黙って老人の話を聞いていた。喉が無性に乾いた。
「それできみたちがあのホテルに、二人きりで泊っていると知って、きみたちの関係を確信したんだ」

相談役は立ち上がると、冷蔵庫からビール瓶を取り出した。ついでにグラスも用意して、ビールを注いだ。
「まあビールでも飲んで、くつろぎなさい」
「はあ、ありがとうございます」
くつろぐどころではなかったが、ビールはありがたかった。ぼくは一息に飲み干した。
「ほう、いい飲みっぷりだ。さあ、もう一杯」
相談役は空いたグラスにビールを注ぎ足して、ぼくの全身に視線を巡らせた。
「それにしても、きみはいい男だ。藤森さんは幸せ者だな、きみのような若い人を恋人に出来て――」
ぼくが肯定も否定もしないでいると、相談役は何気ない口調で言った。
「実は、私もきみに惚れているんだ。初めて会ったときからね。きみには私たち年寄りを狂わせる、危険な魅力がある」
「――!?」
驚いて相談役の顔を見ると、老人はおっとりとほほ笑んだ。そして、自分のバスローブ姿を示した。
「私がなぜ、こんな格好をしていると思う?」
ぼくが怪訝な表情をすると、老人は続けて言った。「きみが来る前、お尻を洗っていたんだ。一度、きみのオトコを味わってみたくてね」

(2)

神谷相談役の裸を見たときから、ぼくはすっかり自制をなくしていた
[3]次へ
[7]TOP [9]目次
[*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b