(4)取材旅行

廉は58歳になったとき、取締役に昇格した。と言っても仕事の量はさほど変わらず、増えたのは会議の数、それに給料だった。
もちろん、収入が増えて一番喜んだのは女房である。
廉はもともと夫婦の交わりに淡白で、また女房のほうも夫を軽く見ていたので、給料だけが夫婦の絆を繋ぎとめていた。

廉の昇格を祝って、キーさんが北海道旅行に連れて行ってやる、と誘った。
嬉しい話だったが、廉は逡巡した。問題は、女房にどう言い訳するかだ。
しかしキーさんは、問題なし、と言う。
「それは俺から奥さんに電話する。ゴルフのオープンコンペでペアの北海道旅行券をゲットした。旅行ついでに雑誌の取材も兼ねたいので、ご主人をお借りしたいってな」
まったく悪知恵の働く人である。この分なら、これまでずいぶんキーさんに騙された人間も多いだろう。ひょっとしたら、自分も――。
廉は頭に浮かんだ考えを、グッと呑み込んだ。

秋の3連休を利用して、廉とキーさんは2泊3日の北海道旅行に出かけた。飛行機や宿はすべて、旅慣れたキーさんが手配してくれた。
これから3日間、誰にも邪魔されずにキーさんと一緒だと思うと、廉はワクワクしてきた。
行きの飛行機の中で、キーさんが廉に言った。
「レンちゃんは左脳型人間だな」
「どうして?」
「レンちゃんの得意なのは、分析と論理的な考え方だろう。それに性格は几帳面で真面目、そして努力家だ。これは左脳型人間に多いんだ」
「――」
廉が黙っていると、キーさんは付け足した。「でも記憶容量は小さいな。文字で記憶し勝ちだから」
廉は言い返した。
「だったら、キーさんは右脳型人間ですね」
「ほう、何でだ?」
「感覚的かつ直観的な考え方をするでしょう?性格は、楽天的でマイペース――それに自分が好きでしょう?」
「ふふん、まあ当たってるな。それに――」
廉の当てこすりにちっとも反応せず、キーさんは追加した。「総合判断に優れ、記憶容量が大きいんだ。なにしろおれは、イメージで記憶するからな」
ああ言えばこう言う。
廉はキーさんとの会話を打ち切って、新聞を手にして読み始めた。

千歳空港に着くと、禿頭、太目体型の年配男性が手をあげ合図を送ってきた。
「やあ!」とキーさんも手をあげて応える。
キーさんがお互いを紹介した。
男性の名は丸山泰三。札幌郊外で牧場をやっているという。
丸っこい顔は健康的に日焼けして、コロコロと肥った体型と同様、朗らかな性格の持ち主のようだ。
廉が驚いたことに、キーさんは人目もはばからず丸山を抱擁して、いかにも仲が良さそうに頬ズリした。そして無遠慮に、老人の膨らんだ腹を撫でながら「お、ちょうど食べごろだな。よく育ってる」なんてことを言う。

駐車場に停めていたのは、大型のランドクルーザーだった。丸山老人の運転で、車は空港から札幌に向けて走り出した。
車中、聞いた話では、丸山は74歳、女房に先立たれ、娘の家族が一緒に住んでいる。娘の亭主は丸山を手伝って、牧場で働いているという。
老人はチェック柄のシャツにブルージーンズ、それに濃茶のウインドブレーカーを着ていた。それが禿頭、血色の良い丸顔に、よく似合っていた。
廉は、このいかにも健康そうな老牧場主の姿を見るにつけ、胸のときめきを覚えていた。そしてまた、キーさんとこの老人の関係が気になったが、そのことはすぐ分かることになる。
助手席に座るキーさんが、丸山に話しかけた。
「ターさん、いい人は出来たか?」
「それが――キーさんのようにいい男がいなくて――」
「ふーん、だったら今夜、レンちゃんに可愛がってもらったら」
キーさんはちらっと振り返って、廉を見た。「レンちゃんはまだこの世界では、童貞なんだ。筆おろしの絶好のチャンスだ」
廉は後ろで聞いていて、(そんなこと勝手に決めないでよ)と思ったが、一方では丸山老人の丸っこい身体に、スケベ心を抱いていた。

丸山の運転する車は、札幌市内を素通りして、小樽に向けて走った。キーさんも黙っているところを見ると、予めスケジュールが決められていたのだろう。
小樽では市街地に入らず、山の方に向かった。
昼近くに着いたのは、山あいの温泉地だった。ちょうど紅葉が見頃で、色とりどりの木々が彩を競っている。
キーさんは今回の旅行に、一眼レフのカメラと、ライカのコンパクトカメラを持参していた。その2つを使い分けて、旅行誌に使う風物を撮影していた。
風情のある旅館の玄関で、中年の女将が出迎えた。
「遠路、お疲れさまです。先にお食事になさいますか?」
顔見知りらしく、丸山が気軽に答えた。
「いや、先に露天風呂だ」
そこでキーさんに振り返って、「ここの露天風呂はお勧めです。きっと皆さんの気に入ると思いますよ」

確かに岩組みの露天風呂は、一見の価値があった。竹の垣根越しに見事な紅葉が、ぐっと迫って
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