私は男の逞しい道具に貫かれることが、病みつきになっている。
こうなるきっかけは、私の妻の兄、澤木幸太郎のせいだ。
澤木家は加賀藩の御用達を受けた金沢漆器の名家であり、私はその一族の三女を娶った縁で親戚となった。
澤木家の長男は政界に出たので、次男幸太郎が金沢漆器の工房を継ぎ、彼の蒔絵技術は業界でも一流と言われていた。そのいっぽう、幸太郎は若い頃からの遊び人で、幾度となく浮名を流していたが、それがどうしたことか遊び相手を男に変えた。芸術脳を持つ男にはゲイが多いと聞くが、彼もその御多分に漏れなかったのだろう。
私より一つ年上で、私たちは「兄さん」「ハルちゃん」と呼び合っていた。
私は富山に住んでいたが、ときどき義兄が金沢からやってきて、その夜は私の家に泊まった。それは妻が病で死んだあとも続いていた。
幸太郎が言うに、富山側から見た山並みが素晴らしくて、蒔絵の絵柄作りの参考になるそうだ。
しかし彼が富山に来る思惑は、他にもあった。
ある夜、2階に泊っていた義兄が、1階の私の寝室にやってきた。
当時、私はリビングに続く和室8畳間にカーペットを敷いて、ベッドと書斎机を置き、寝室兼書斎としていた。
「眠れないんだ。ハルちゃん、ちょっと楽しいことやるか」
部屋を訪れた義兄は言うと、突然私を抱きすくめた。義兄の身体からは、酒の匂いがした。
「あっ、兄さん!何を――」
私は抗ったが、義兄は私より大きな身体をしており、体力差では大人と子供ほどの差があった。
私は強引にベッドに押し倒され、口づけをされた。その間、逞しい手が私の全身をまさぐり、パジャマ越しに股間を刺激した。
「ああっ!こんなこと――兄さん、もうやめて!」
私は身もだえして抗議したが、一方ではウズウズとした性感も覚えていた。
それを感じ取って、義兄はほくそ笑んだ。
「ハルちゃん。口じゃ嫌だと言っても、ここを硬くしてるじゃないか」
義兄は私のパジャマを脱がしだした。私は何の抵抗もできず、裸に剥かれた。
「ほう、思った通りだ。ハルちゃん、きれいな体をしてるな」
あろうことか、義兄は、私の性器を口に含んだ。器用な舌がネロネロとくびれを舐め、竿伝いに湿った温もりが移動した。
(ああっ!いい――)
こんなこと、生前の妻にさえしてもらったことがない。
急激に襲った快感の渦に、あっというまに呑み込まれた。私は抵抗の意思を失くして、義兄の口によってもたらされる快楽の世界を彷徨った。
その夜、私は生まれて初めて、男の口によって射精した。
妻が死んで以来、5本指を使って自らを慰めていた私が――。
呆然とした私に向かって、義兄は言った。
「さあ、ハルちゃん、今度は俺を楽しませてくれ」
義兄の性器は私のモノより、ひとまわり大きかった。そして性の遍歴を物語るように、カリが発達して禍々しい形状をしていた。
濃厚な牡の匂い――そしてしょっぱい奇妙な味がした。
肉根がみるみる膨張して、芯が通ってきた。義兄は私よりひとつ年上だが、性器の逞しさでは、遥かに若かった。
咥えているだけでも息苦しくなった。
それでも私は同性の強みを発揮して、義兄の感じるところを刺激してやった。
ふと気づいた。自分でも信じられないことに、男の息づく道具を咥えていることに、喜びを覚えていたのだ。
――私が42歳、義兄が43歳のときだった。
その後義兄は、ほぼ2か月おきに富山にやって来て、その夜は必ず、私の寝室に忍び込んだ。
私もいつしか義兄の嗜好に同化して、男色を楽しむようになっていたが、ある種の後ろめたさはぬぐえなかった。
一人息子の良一は、素直な性格をして、よその親がうらやむほどの、よく出来た子供だった。万が一、その息子が自分の父親の変態的な趣味を知ったなら、どう思うだろう。
息子に知られることだけは、何としても避けたかった。私は義兄にも、そのことはきつく戒めていた。
義兄は来るたびに、ゲイ雑誌や男色用の大人の玩具を持ってきた。
ゲイ雑誌を初めて見たときは、若者のように昂った。巻頭のグラビアページに、熟年男性同士の絡み写真が、満載されていた。男同士のさまざまな性行為。口に咥えたり、尻に挿入したり――。
肝心の部分はモザイクが入っていたが、それでも接触部の様子は見て取れた。
こんな世界があるのは知っていたが、これだけあからさまに男色模様を示されると、義兄とやっていることも特殊なこととは思えなくなった。むしろ、男色行為も普通の行為と思えてくる。
いっぽう大人の玩具は、勃起補助クリームやコンドームのほかに、男性器を模した張り型や直腸の洗浄器があった。義兄は肛門性交用のものだと言う。
私はゲイ雑誌を見て肛門性交に興味を持ったが、私の潔癖症が障壁となった。
肛門を使うのは不潔だと思えたし、太い男根を後ろに受け入れることなどとても無理、と思
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