芸術か猥褻か

今回のテーマは、純粋な芸術についてである。
決して、ゲイのテクニックのことではない。
そして、芸術を語ろうとすれば、対語のような、猥褻についても語らなければならないだろう。
――と言うことで、まず、猥褻について勉強しよう。
(ずいぶん強引な話のもっていきようだ、という意見は無視。――まだ、蒸し蒸しする気候だから)

ある男がフリチン(注1)で街中を歩いていたとする。
当然、警察にしょっぴかれることになるが、この場合、よく間違って言われるのは
『わいせつ物陳列罪』。
これは誤りで、正解は、『公然わいせつ罪』(刑法174条)なのである。
『わいせつ物陳列罪』は、刑法175条の『わいせつ物頒布等の罪』に含まれるものである。この175条「わいせつな文書、図面、電磁的記録に係る――云々」は、昔から法廷で繰り返し議論されてきた。
なにしろ刑法より上位法の憲法で、表現の自由が保障されているからだ。
有名なところでは、チャタレー婦人事件や4疊半襖の下張事件、愛のコリーダ事件などがある。いずれの裁判も、わいせつなのか、芸術なのか、ふたつの関係をいかに解釈するかが、主な論点になっていた。

そもそも『わいせつ』とはどういうことか?わいせつの定義をめぐる議論は尽きないが、刑法174条の『わいせつ3要件』とは、
@ 徒(いたずら)に性欲を興奮又は刺激させること。
A 普通人の正常な性的羞恥心を害すること。
B 善良な性的道義心に反すること。
なんだか全て、私の小説に当てはまりそうだが、以上3要件を満たせば、わいせつと言うことである。
しかし、このわいせつの定義も、年々ゆるくなってきたように思う。
ゲイ動画のサムソンビデオなどを見ると、近頃は秘所のボカシが薄くて、モロ見え状態である。この動画はネット上で堂々と商売され続けているので、当局もこの程度までは良し、と許可しているのであろう。
これもネット上で日本に押し寄せて来る、海外動画の影響であろうと思う。

この『わいせつ』は、成人に限定して、合法とされている国が多い。
そうなると、インターネットの普及に伴い、国境を越えた情報の流出入がごく当たり前になっている現代は、わいせつ罪そのものを見直す必要がありそうだ。
現に日本で作ったハードコア・ポルノでも、いったん海外のサーバーにホームページを開設して、情報を逆流させれば、法の対象とはならない。(もちろん、児童ポルノだけは海外でも犯罪である)
以上のことは、皆さんも夜毎、ゲイポルノを見ていて実感していることと思う。
えっ?そんな猥褻なもの、俺は見てないって――。それは失礼しました!

そんなこと言っている内に、メインテーマの芸術について語る時間が無くなったようだ。芸術はまたいずれの機会かにお話しよう。
えっ、何ですって?本当は、猥褻についてだけ、しゃべりたかったのだろうって?
それはあなたの勘違いです。
ところで、今回の挿絵は、その当時、物議を醸したと言われている、ゴヤの『裸のマハ』の向こうを張って描いたものだが、このフリチンの小父さんの絵は、はたして芸術だろうか?それともわいせつ図画?



(注1)フリチンという言葉、フルチンではないかと言う人も多いことだろう。これを国語辞典で調べると、どちらも正解である。
もっと掘り下げて調べると、どうもチンは後から付けられたようで、江戸時代の文献にも、『ふり』あるいは『ふる』だけで、下半身はだかの意があったようだ。
21/06/12 08:00更新 / 神亀


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