余情の美



突然ですが――あなたは上の絵を見て、左と右、どちらにそそられますか?
見えそうで見えない、焦らすような左の絵。モロ出しの右の絵。
私の独断と偏見で言うならば、左の絵を選んだ人は、男色の甘いも酸いも噛み締めた、ベテラン。もっと言うと、『余情の美』を楽しめる人。
ちなみに私は、男色に関して頭でっかちで(アレのことじゃないよ)実践未熟者、まだまだモロ出しの方に興味を惹かれる。それでも近頃は、視覚より想像力に訴える、余情というものも少し分かってきた気がしている。

さて、この余情の美、日本人特有の美意識ではないだろうか。
日本人なら誰でも知っている松尾芭蕉。俳句をやらない人でも、彼の詠んだ俳句のひとつやふたつは知っているだろう。その世界にある『侘び』や『寂び』。余情の美は、その侘びや寂びに通じる感性だと思う。
余談だがこの松尾芭蕉、衆道好き(男色家)と思われる節が多々あり、そのお相手は、愛弟子の杜国と越人があやしい。越人は「男ぶり水のむ顔や秋の月」と詠まれるほどの美男子だったという。
芭蕉が江戸から明石まで旅をしたとき、その道中によって、越人あるいは杜国と二人旅をしている。
そのときの紀行文の中に、「寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき」とか「かのいらご崎にて契り置きし人」などと、意味深な句を詠んだり記述したりしている。

平安時代では、『後朝(きぬぎぬ)の別れ』なんていう雅やかな言葉があった。『衣衣の別れ』とも書くが、そちらの方が分かりやすい。
平安時代、布団など無かったのか、男女が一夜を共にするとき、お互いの衣を脱いで重ね敷き、そこで肌を合わせながら寝た。
そして翌朝、それぞれの衣を着て、しんみりと別れる。
そんなしっとりとした情景――愛を交わした翌朝、別れるときの余情を表現した言葉だが、これはなにも男女だけの特権ではない。男と男にだって当てはまる。

ところでこの余情の美、今の世の中では、だんだん失せてきたように感じる。多分に、外国文化が若者たちの間で、氾濫しているせいだと思う。
ネットサーフィンしてゲイサイトを見ると、外国の動画はモロ出しアッパラパだが、国内のものはモザイクが入って、肝心の部分がすっきり見れない。
アッパラパは余情の美と程遠いが、モザイクも不自然に思える。べつに隠さなくたっていいじゃん――私なんか、いつもそう思う。
なんて言ってるうちに、時間となりました。
惚れた爺とコトの終えた後、「良かったよ」なんて野暮なことは言わずに、黙って見つめ合う。そして雄弁な沈黙で、自分の気持ちを伝える――。
どうです、皆さん。今度、やってみませんか?
21/05/18 12:26更新 / 神亀


[7]TOP
[*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b