(四)

(四)

徒目付小沢直作は、川越街道から板橋の平尾追分で中仙道に合流したところで、茶屋に寄り一服した。川越の城下町から江戸に戻る途中だった。
昼の通りは、旅姿の町人や荷物を運ぶ馬子、飛脚などの姿が行き交っている。
(おや、あれは――)小沢はふと視線を止めた。
斜め向かいの旅籠から、飯盛り女らしい若い女が出てきた。その顔に見覚えがあった。
山寺で床に臥せたお伝の方の世話をしていた小娘だ。二年の歳月は小娘を女に変えていたが、当時の面影はあった。
小沢は席を立つとき、茶屋の親父に聞いた。
「確かこの辺りの旅籠に、縫という飯盛り女がいたが――」
親父は訳知り顔でにんまりした。
「ああ、お侍さん、それは鶴屋の女ですよ。器量よしで男たちに人気があります」
斜め向かいの旅籠の暖簾が、鶴屋と紺色に染め抜かれている。
(やっと見つけたぞ)小沢はほくそ笑んだ。

(はて、これからどうするか)
新之輔は思案しながら、八丁堀の通りを歩いていた。
海滑藩内の派閥争いは、藩を出た新之輔にとって、もはや関わりのないことだった。しかし、新之輔の血を継いだ首藤家宗の身に及ぶこととなると、無関心でおれなくなる。
ふと顔を上げると、見知った二人連れが向こうからやってくる。
着流しに黒の紋付羽織の杉山甚八。尻端折りしてでっぷりと肥った岡っ引きの勘三郎。
お馴染みの格好なので、遠目にも分かる。
「お二人そろって、どこへ行かれる」
新之輔が声をかけると、甚八が気安く答えた。
「おう、新之輔。実は殺しがあってな、その聞き込みだ」
「それはご苦労様です。殺しとは――斬られたのですか」
「それが変わった殺しでね。舟に乗ってるところを、岸から棒手裏剣を投げて、喉を貫き通したんだ」
新之輔は不吉な予感がした。ひょっとしたら、多七――。新之輔は性急に訊いた。
「仏はどこに置いています?」
「ああ、自身番屋だ」

被害者は、雰囲気が似ていたが、多七本人ではなかった。
新之輔は自身番屋で死体を改めると、ホッとする思いがした。
そのあと、思い立って、海滑藩の上屋敷を覗きに行くことにした。
屋敷は虎の御門を出て、西に行ったところにある。新之輔は、藩主頼宗の時代に、近習を務めていたので、この辺りの地理は覚えていた。御城の西方にあたり、もう少し先に足を伸ばせば徳川御三家、紀州藩の広大な屋敷がある。
編み笠で顔を隠し、用心をした。屋敷前はひっそりとして、数人の商人風の男たちが門を出入りしていた。
陰謀が渦巻いているのが嘘のように、しごく平穏なたたずまいに見えた。
新之輔は、それとなく屋敷の周囲を歩いた。その姿を、それぞれ別の方向から、二人の眼がじっと見ていた。

海滑藩の屋敷から離れたあと、南に下って芝の方面に向かった。このあたりは寺が多い。道は人通りが少なく寂れた雰囲気がある。
新之輔があえてこの道を選んだのは、先ほど覚えた誰かに見られている感覚からだった。用があるのなら、相手のほうから出てくるであろう。
案の定、前方からひとりの侍が現れた。堀昌之が拉致された夜、新之輔を襲った男だ。
男は鯉口を切ると、新之輔に向かって言った。
「この前は邪魔が入った。決着をつけるぞ」
歳は三十くらいか。腰を落とした姿から、腕に自信があるようだ。
新之輔は刀の鯉口を切りながら言った。
「ここは往来だ。人の邪魔にならぬところに行こう」

二人は、寺の境内の空き地に立った。
闘いの前に、新之輔は言った。
「おぬし、新陰流を使うとみた。名を名乗れ」
男は刀を抜くと、せせら笑った。
「冥途の土産に聞かせてやる。新陰流、柳生左馬之助だ」
新之輔も刀を抜きながら名乗った。
「風神流、風間新之輔」
今は紀州にいる羽山竜之進の風神流を、あえて名乗った。
左馬之助は地擦り下段に構えて、じりっと近づいてきた。新之輔は正眼に構えて、相手の出方を待った。
前触れもなく、下から刀が凄まじい勢いで脾腹を襲ってきた。
新之輔はそれを、五分の見切りで交わした。
すかさず返す刀が、首を狙って振り下ろされる。
これもかろうじて避けたが、襟元の布を裂かれた。
「ほう、霞返しをしのぐとは、おぬし、できるな」
左馬之助は平然と言うと、今度は右脇構えになった。
そのとき、いずこからか、礫(つぶて)が左馬之助の右手を襲った。
「おのれ、何奴!」
不意を突かれて刀を取り落とした左馬之助が、誰何した。
今度は礫が顔面を襲った。左馬之助はそれをかろうじて避けた。
「どうやらまた、邪魔が入ったようだな」
新之輔は言うと、刀を鞘に納めた。

柳生左馬之助と別れて歩を進めながら、新之輔は声をあげた。
「新造、いつまでも隠れていないで、出てきたらどうだ」
横の塀の上から懐かしい顔があらわれ、下に飛び降りてきた。
「新之輔さま、よくわたしと分かりましたね」
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