(三)
縫は旅籠の裏庭で洗濯していた。そのとき虫の音を聞き、ハッとした。
立木の陰から、なつかしい父親の声が聞こえた。
「縫、元気なようだな」
「おとっちゃん!」
縫が振り向くと、慌てた声がした。
「そのまま洗濯をつづけろ。奴らが見張ってるかも知れぬ」
「奴らって?」
「寺を襲った者どもだ」
「――」
「ようやくお前を見つけた。いいか、一緒に暮らせる家が見つかったら、必ず迎えに来る。それまで辛抱してくれ」
「おとっちゃん、これまでどこにいたの」
「あちこちだ。半死の傷を負ったわしは、山寺の和尚に助けられた。そのあと伊香保の温泉で、半年ほどかけて傷を治した。それからお前を探す道中で、まだわしらを追っている者がいるのに気づいた」
「追ってる者って誰なの」
「海滑藩の者だ」
「――そういえば、前にお侍がわたしを訪ねてきた」
「なにっ!どこの者だ」
「風間新之輔って名前の人。背の高いお侍さんだった。どこの人か知らないけど、悪い人じゃないと思う。もしわたしがおとっちゃんと出会えたら、江戸の本湊町にある蕎麦屋を尋ねて来るように言ってくれって。小さな稲荷神社の横にある店。名前も言ってたけど、難しくて忘れた」
堀昌之は碧雲亭に三日滞在したあと、海滑藩の藩邸に戻っていった。その間、新之輔は堀に対して、あえて冷然とした態度をとっていた。
あのとき――苛立たしさと嗜虐的な気持ちで、堀の衣服を引き剥いだのだが、肌を合わせた途端、すっかり五十半ばの老人に魅了されていた。
肌は沁みひとつなく、ふんわりとして、どこまでも埋没するような柔軟性があった。
老人臭もまったくなかった。
それに堀を犯していると、保科肥後守を犯しているような気分になった。
それほど二人は、よく似ていた。荒々しく手籠めにするつもりが、いつしか心を込めて犯していた。
堀昌之が碧雲亭を去ったとき、なにか大切なものを失ったような気分だった。
その日、本湊町に戻ると、碧雲亭の前で腰の曲がった老爺が、店の中を窺っていた。
入ろうかどうしようか、迷っている風に見えるが、新之輔は不審に思った。いかにも老人を装っているが、ずっと若いのではないか。
心を決めたのか、男は店の中に入っていった。新之輔もその後につづいた。
男は木台の隅っこの席にいて、お初に注文していた。お初が新之輔に気づいて、明るい笑顔で言った。
「あ、新之輔さま、お帰りなさい」
そのとき男が、すばやく新之輔のほうを見るのに気づいた。
新之輔はずかずかと歩み寄って、男の向かいの席に座った。
「お初ちゃん、蕎麦を一つ頼む」
そして男に向かって言った。「それがしに用があるようだな」
一瞬、男は逃げ出そうとしたが、浮かした腰を落とした。それでも油断なく、店の周囲に目を配っている。
「心配いらん。おぬしに危害を加える者はおらん。それがしは風間新之輔と申す。要件はなんだ」
男はおずおずと言った。
「それは、こちらが訊きたいくらいで」
新之輔は思い当たった。そこで声を潜めて訊いた。
「縫の父親、多七か?」
男がそっと頷いた。
新之輔と多七は、場所を二階に移して、話をしていた。
多七は新之輔の素性を聞いて、少し安心したようだ。実年齢は三十八歳と言う。新之輔とそう変わらない。
「――では、お伝の方に会いに来た侍は、田上半四郎に間違いないな。もう一人の侍は誰だ」
「半四郎は小沢さまと呼んでいましたが、藩の者ではないようです」
新之輔は腕を組んで、考え込んだ。
「寺の者を皆殺しにするような、惨いことをしてまで守る秘密――。二人がお伝の方と何を話していたのか、それが問題だな」
「じつは――わしはそれを聞いております」
多七がぼそぼそと話しだした。「あのとき、虫の知らせのようなものを感じて、わしは天井裏に忍び込みました」
そこで新之輔のおどろいた顔を見て、説明した。「これでも若い頃は、海滑で里の者として修業しました――。お伝の方は甥の半四郎に、首藤七十郎をよろしく頼む、と言われていました」
「首藤七十郎――首藤宗顕さまのご長男の」
新之輔は、自分が弑した宗顕の顔を思い浮かべた。
「そうです。お伝の方は最後の床で、ご自分がずっと胸に秘めていたことを、告白されました――七十郎さまが、お伝の方の実の子であることを。宗顕さまの正室綾乃さまがお子をお産みになったとき、お伝の方も宗顕さまのお子をお産みになられたのです」
多七は一呼吸置いた。
「ところが、綾乃さまがお産みになったお子は、すぐお亡くなりになった。それで宗顕さまのご指示で、お伝の方のお子を取り替えられたのです。このことは、宗顕さまとお伝の方お二人だけの秘密とされました」
多七の話が終ったところで、新之輔は肝心のことを聞いた。
「お伝の方は――ほかの秘密について、話さなかったか?」
多七は自信をもって答えた。
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