(四)
昼過ぎ、八丁堀の寺内頼母の役宅に行くと、小壺芳美が営んでいた医家から、小者の弥助が出てきた。弥助は新之輔の姿を認めて、泣きそうな顔をした。
「新之輔さま――」
声を途切らせた。そして丁寧に頭を下げた。「先生の仇をとって頂いて、ありがとうございます」
どうやら、瓦版に書かれていたことを読んだようだ。
弥助は束髪だが、医師の着るような服装をしていた。もともと品のあった顔と、良く似合っている。その後ろに少し若い男が、薬箱を担いでいた。
「弥助、芳美のあとを継いだのか」
「はい、先生のやっていたことを、見よう見まねでやっております」
この時代、身分制度は厳しかったが、医者に限っては、誰でもなることが許された。
町医者のほとんどは漢方医学で、脈をとって、診立てして、薬を処方するだけだった。
弥助はもともと薬問屋を営んでいて、事業に失敗して芳美に引き取られた。だから漢方医学の知識があった。それに芳美の処方を見ていて、外道(外科)の知識も身につけていた。
「わたしはこれから、患家の往診に出かけます。新之輔さま、今夜、お出ましください。きっとですよ」
いつも控えめな弥助にしては、強引な物言いだ。顔を見ると必死の思いがある。新之輔は老人の気迫に負けて、「分かった」とひとこと言った。
弥助と別れると、新之輔は、小壺芳美と松岡東洲斎の墓がある浅草の寺に向かった。
水木家の用人だった東上忠右衛門は、水木三太夫と剛太夫親子の墓前で手を合わせ、しばし黙とうした。
忠右衛門は、瓦版に書かれた内容を見て、少しずつ事情が分かっていた。なぜ若が殺されたのか、なぜ殿が腹を切ったのか。
若が旗本奴と呼ばれていたことや、人を犬猫同然に切り捨てる残虐性や、血も涙もない皆殺し強盗事件に加わっていたことなど――誇張されて書かれていたとしても、若の所業は事実だろう。それに殿のことも、腹を切って旗本三千石を潰した男と書かれ、世のそしりを受けている。
仕方のないこととしても、忠右衛門は割り切れぬ思いがしていた。
若の養育係を命じられ、お小さいときからご一緒した。眼がクリッとした元気なお子だった。それが、いつしか忠右衛門の手に負えなくなっていた。若が十五のときから、付いていけなくなったのだ。
殿は物静かで、争いを好まれぬお方だった。学に秀で、水戸の光国さまともお親しく付き合われていた。殿が切腹されるとき、いかほどご無念であったことだろう。
忠右衛門は主の後を追って腹を切ろうとしたが、今お上では殉死を禁じている。ここで禁を破って死ねば、水木家の恥の上塗り、瓦版に何と書かれるか知れたものではない。
それでおめおめと生き延びていたのだ。
瓦版では、若を斬ったのは天下の浪人者、風間新之輔、と英雄のように書かれていた。
この者は正義を行ったのであろうが、忠右衛門にとっては主の仇だった。
墓参りをすませた忠右衛門は寺を出て、そこでハッとした。
風間新之輔が向かいの寺から出てくるところだった。おそらく風間も、墓参りか何かで、寺を訪れたのだろう。
二日前、忠右衛門は小網町の飲み屋に行って、偶然町方らしき男たちの話を聞いていて、背の高い男が風間新之輔であることを知ったばかりだった。
忠右衛門は、風間のあとをつけ始めた。
新之輔は本湊町に戻る途中、少し霊岸島を歩いてみようと思った。茅場町から亀島橋を渡った先が霊岸島である。ここは大川にできた中洲で、葦の繁る湿地だった。それが埋め立てられ、町屋が造られた。だから歩くと少しふわふわした感じがある。
北の新堀川を隔てて箱崎、西の八丁堀川を隔てて茅場町と八丁堀がある。そして東側は、大川に面している。
昼間の喧騒がいくぶん収まり、行き交う人の数も減ってきた。
新之輔は大川端の堤防に立ち尽くして、西の丘に傾く陽を眺めた。淡い日差しを反射する大川の流れは、寒々としていた。
ふと、背中に何かの気配を感じた。はっとして後ろを振り向くと、老侍がじっとこちらを見ていた。殺気とは違う気配、ためらいのような何か――。
渋茶の単に黒袴を着け、腰には差料を帯びている。背が低く、月代を嗜みよく剃っているが、髪に霜を置いた六十過ぎに見えた。
老侍は新之輔と目が合うと、近づいて来た。
「風間新之輔どのでござるな」
新之輔がうなずくと、老侍は名乗った。「水木家の用人をしておりました、東上忠右衛門でござる」
武家にしては色が白く、もの柔らかな口調で話す。顔も穏やかな表情をしている。
「少しお話したいことがござる。よろしいかな」
水木家の用人がなにか、と訝ったが、新之輔は黙ってうなずいた。
「では、ついて参られよ」
東上は丁寧な一礼をし、目を落として踵を返した。老いたとはいえ、伸びた背筋が侍らしい嗜みを思わせた。
新之輔はふと、懐かしさのような覚えが湧いた。
渡し舟で大川の対
[3]
次へ
[7]
TOP [9]
目次[*]
感想