(四)

(四)

吉野屋に泊った夜中、ふと人の気配を感じて、新之輔は目を覚ました。
襖がすっと開かれ、店の主、忠左衛門が部屋に入ってきて枕元に座った。そのまま新之輔の顔をじっと見ている。
新之輔が目を開け半身を起こすと、忠左衛門はいたずらを見つけられた子供のような顔をした。
「拙者になにか用か?」
新之輔が尋ねると、あるじは恥ずかしそうに目を伏せていたが、思い切ったように口を開いた。
「何者かが襲ってくるかと思うと、夜ひとりで寝るのが怖くて――」
(だったらなぜ、甚八の忠告を受け入れて、隠れ家にでも移らないのだ?)
そこであるじの目つきに気づいた。新之輔は訊いた。
「拙者と寝たいのか?」

一夜限りの情事とは割り切れない、底知れぬ悦楽だった。見かけは凡庸な老爺なのに、新之輔を狂わせる妖しい裸身を隠していた。
滑らかな温もりと吸いつくような締め付け――。背後から貫入しながら、無意識に菊丸と比較していた。忠左衛門も陰間だったということを考えれば、男を悦ばせる玄人の技があるのだろう。
悦楽にも踏み込んではいけない領域がある。その領域に呑み込まれてしまったら、一生抜け出せなくなるだろう。
新之輔はこの夜、忠左衛門と肌を合わせながら、その領域にしばしば足を踏み入れた。

小壺芳美は、吉野家の横にある古着屋に、往診で来ていた。
腰の治療を終えたあと、古着屋の主人は声を潜めて言った。
「隣の忠左衛門さんは昔、陰間茶屋にいたのを、先代が引かせて養子としたのです」
芳美は納得した。道理で忠左衛門の立ち居振る舞いが、どことなく柔らかいと思った。
「最近、用心棒で寝泊まりするお侍、たしか風間新之輔さまとおっしゃいましたが、男前で立派な身体をされています。ひょっとしたら忠左衛門さん、そのお侍としっぽりと濡れごとをしているかも知れません」
主人は下卑た笑いを浮かべた。
対照的に芳美は、むっつりとしていた。

吉野屋に泊るようになって、五日目の夜だった。
――む、来たな。
直感で分かった。戸を開ける物音があるわけでもなく、人の気配もない。眠りの底に冴えた感覚があって、いつでも瞬時に働かせられるものだった。
新之輔は刀を取って奥の部屋に入ると、忠左衛門を揺り起こした。
「押し入れに隠れていろ」
ささやき声で言うと、忠左衛門はすぐ事態を察して、素直に押し入れに入った。
裏庭に面した雨戸が、かすかに擦られる音がした。新之輔は縁側に出て、雨戸のすぐ横に潜んだ。
雨戸が開けられるにつれ、月光が影を床に映した。賊の手にする白刃がきらめいた。
新之輔は無言で踏み出し、賊の脾腹に刀の柄を突き入れた。ついで賊の身体を、庭の方に突き倒した。
ほかに二人いた。剣を手にし、浪人者の風体をしていた。
「誰に頼まれた」
新之輔は声をかけた。
突然現れた新之輔の姿に、男たちはうろたえているようだ。戦うか逃げるか、そんな心の迷いが手に取るように分かる。
「答えぬなら、こちらから参る」
言った途端、右の賊が切り込んできた。それを軽くいなし、峰打ちで相手の肩を打った。残りの一人は、とても敵わないと思ったのか、裏木戸のほうに逃げた。

知らせを聞いた勘三郎親分が、吉野家に駆けつけてきた。遅れて、勘三郎の手下から報を受けた、杉山甚八がやってきた。
捕らえた賊二人は、後ろ手に縛って自身番屋に連れて行かれた。
新之輔が言った。
「あの二人は金で雇われた浪人者だ。何も知らんと思う」
甚八が腕を組んで言った。
「どうせ、そんなところだろう。しかし、ここまでやるとなると、敵はそうとう焦ってきたな」
「伊勢屋のあるじは、悪事に加担しているのでしょうか?」
勘三郎が訊いて、甚八が応えた。
「それはどうだかな。一応被害者の立場だが、千両箱五つ位の損じゃ、数年で取り戻せるだろう。よし、明日、伊勢屋に行って、揺さぶりをかけてみるか」

次の日、杉山甚八は勘三郎を連れて、札差の伊勢屋に行った。
六十に近い伊勢屋弥太郎は、商人というより庄屋を思わせる、土に根付いた素朴な風格があった。
「本日はどういったご用件で――」
「うむ、善助のことだ」
「そのことでしたらもう、川上久蔵さまに――」
「話したって言うんだろう」
「ええ。それにご迷惑をかけました旗本の皆さまには、損害額をお納めし、お詫びの印も――」
「たっぷりとばらまいたらしいな」
「もとはと言えば、手前どもの奉公人の不始末でございますから――」
「そうなのかい?」
「えっ!」
よほど心に刺さったのか、伊勢屋の手がわなわなと震えだした。

話すのは、いつも勘三郎の役目である。同心の杉山甚八は少し離れたところから、訊かれている者の顔の表情をさりげなく見ている。これはお調べのときの、二人の決まりのようなものである。
勘三郎は、はったりをきかせた。
「おれは、善助が首を斬られる前
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