(三)
江戸の街は幾筋も川が流れ、その川をつなぐように数多くの運河が掘られつつある。
理由は道の事情にあった。江戸の道は、晴れれば土埃があがり、雨上がりはぬかるむ。舟で水上を行く方がはるかに楽で清潔だった。そんなことから道を歩けば、すぐ川や運河に突き当り、独特の水沿いの風情を醸しだしていた。
新之輔は、いくつかの川や運河にかけられた橋を渡り、浅草御門の外に出た。そのまま大通りを北に進んで行くと、茅町と瓦町の境に「川治屋」はあった。外から見る限り、何事もなかったように営業されている。
店構えは小奇麗な造りで、新之輔は奥の小部屋に通された。蕎麦屋であるが、ウナギ料理も人気があると店の者に聞く。そのウナギと蕎麦を頼んだ。
ウナギのかば焼きは、肉がふっくらとして柔らかく、しかもたれの味が絶品だった。ほんのりと甘く、醤油味が控えめである。
二八蕎麦も工夫が凝らされていた。この頃の蕎麦は、そばがきと言って、すいとんみたいにして食べるのが一般的だった。それがこの店では、細切りにして茹でたものを出している。それを醤油とネギ、おろしたてのワサビをつけて食べる。
女に言って、店の主人を呼んでもらった。
あるじは海老蔵と名乗り、でっぷりと肥った五十がらみの男で、なかなかに愛想の良い口の利きようをする。
「この度は、手前どもの店にお越しいただいてありがとうございます」
「前の店と変わっていたので入ってみた。なかなかにうまかったぞ」
「それは有難うございます。前の店をご存じで」
「何度か来たことがある。たしか主人は嘉平とか言ったな」
嘘をつくのは心苦しいが、新之輔はあえてそう言った。
海老蔵は少し困ったような表情をした。
「はい、嘉平さんから店を譲っていただきました。――嘉平さんもお気の毒に」
「嘉平に何かあったのか」
「騙りにあったのでございますよ。米の相場に投資して儲けるとかいう――近頃、そんな話が多ございます」
相場の騙りなら、岡っ引きの勘三郎が知っているかもしれない。そう思って新之輔は、勘三郎の住む小網町に向かって歩き出した。
店の近くまで来ると、背の低い小太りの男が向こうへ歩いて行く。声をかけたら、当の勘三郎親分だった。
「旦那、今朝方はどうも。どちらにお出かけですかい」
勘三郎は人通りを避けながら言った。
新之輔も逆に訊き返した。
「親分こそ、どちらに参る」
「じつは、旦那が新しく借りた家でも見てみようと思いまして」
「それは暇なことだな。それがしも親分を訪ねるつもりだった」
「それは、それは」
勘三郎は手をこすり合わせた。新之輔の背が高いので、見上げるような格好になる。
「それではとりあえず、旦那の家に参りましょうか」
二人は連れたって、本湊町に向けて歩き出した。
空は晴れ渡って、まぶしい日差しが往来を照らしている。それでも一筋、冷ややかな気配が流れ、厳しい冬を実感させる。
新しい家は、前の住人が碧雲亭と銘打っていた。風流好きの小壺芳美が「じゃあ、これからは碧雲亭と呼びましょう」ということで、その呼び名を使うことになった。
妾の家だったにしては少々壮大な名前だが、新之輔もあえて異を唱えなかった。
その碧雲亭に入ると、嘉平がいて、二人のために茶を出してくれた。嘉平は、すっかり落ち着いているようだ。
嘉平をちらりと見て、勘三郎が言った。
「旦那は、嘉平をどうされるつもりですか」
「嘉平が落ち着くまで、しばらくこの家に置くことにした。それよりも、嘉平は騙りにあったと言うが、そんなことが多いのか」
「へい。近頃増えています。米相場を持ちかけて、偽札を渡して金を取る。とくに浅草界隈では、その手の騙りが多いようで」
「若い男で、見たところ実直そうな顔をしていたとか」
「騙りをやるのは、その手の顔が多いんですよ。見た目で安心させて騙すんです。いま元八らに聞き込みをやらせていますから、何か情報が掴めるでしょう」
元八は勘三郎のところの下っぴきである。勘三郎は三人の若い衆の面倒を見ていた。
それから数日後、新之輔は偶然、騙りの男と行き合わせた。
浅草御蔵前の通りを歩いているときだった。薄暮を過ぎ、人通りはまばらだった。
そのとき、おや、と思った。前を行く小太りの男の後ろ姿に、見覚えがあった。
あれは、川治屋の主人では。そしてハッとした。前方の通りの影に男が二人、たたずんでいた。気配から、前を行く男を待ち構えているようだ。
案の定、男たちが前を塞ぐように出てきた。
「何かご用ですか」
その声から、川治屋の主人海老蔵だとはっきりした。
男たちは無言だが、手に匕首が握られている。
「待てっ!」
新之輔は声をかけて、走り寄った。
「怪我をしたくなければ、てめえはすっこんでろ!」
渡世人らしい男たちがすごんで、匕首を新之輔に向けた。
気の弱い人間なら震えあ
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