(二)
本湊町の家を出ると、小壺芳美と連れたって八丁堀の方へ歩いた。
新之輔は月代を剃らず、髪を総髪にして一文字の髷を結っている。高い鼻梁と意志の強そうな顎の線は、優男の類とは違う、内奥に潜む一徹さをうかがわせる。
医師の芳美はほっこりとして、可愛らしいご隠居といった風情である。
背の高い浪人者と小さな坊主頭の老人連れは、見ていて微笑ましい。
「薬の調合をいたしますので、わたしはお先に帰ります。新之輔さま、今宵の飯はどうされますか?」
芳美は尋ねた。新之輔との情事の名残を見せて、まだ頬に赤みがさしている。
契りを結んだあとは、二人の身体から微かにいい匂いがする。お香と甘い匂い。以前、永平寺の老僧から貰った丁字油を、潤滑剤として使うからだ。
少し考えて、新之輔は言った。
「ふむ、今宵は船場亭に寄ろうと思う。久しぶりに、勘三郎親分に会ってみる」
勘三郎は古参の岡っ引きである。賊に襲われた勘三郎を、通りかかった新之輔が助けた縁で知り合った。船場亭は、勘三郎が女房のハナにやらせている煮売り屋である。もともとは居酒屋であったが、ハナがちょっとした食べ物も出すようになって、独身の男たちに重宝されていた。
「では、わたしも後ほど参りましょう」と芳美が言った。
背が低く小太りの芳美が、先を歩いて行く。小壺芳美は町医者だが、本道(内科)にも外道(外科)にも通じていて、その腕の確かさは、武家屋敷にも呼ばれるほどである。
芳美の後を追うように、新之輔はゆったりとした足取りで先に進んだ。
着流しに一本差し、いかにも浪人者らしい風体だが、すれ違う女たちが振り返る。不思議なことに、年寄りの男どもも振り返る。女や年寄りの男たちが振り返るのは、新之輔にまとわりついている、一種ものうげな翳りに惹かれるのかも知れない。
切れ長の涼やかな双眸に彫りの深い顔立ち、30代も後半の年齢だが、長身、肩幅の広い精悍な身体つきは、江戸の町を歩いていて目立った。
それに、人を斬って国元を出奔し、逃避行の途中で最愛の爺を亡くた。追手の忍者軍団とも何度か死闘を繰り返した。そういった厳しい月日が、新之輔の風貌に若干の苦みを加えている。
ほどなく芳美の家に着いた。ここは南町奉行所与力、寺内頼母の役宅の一部である。
与力の屋敷と同心のそれは、一目で区別がつく。与力の敷地は三百坪で冠木門に対して、同心は百坪で木戸門である。
表通りに面した土地に、寺内頼母が借家を立てた。その家を借りて、芳美が医院を開いていた。以前、芳美が寺内の刀傷を手当てした縁で、借りることになったのだ。
「身投げだあっ!」
鎧の渡しの方面から、人の騒ぎ声が聞こえてきた。
即座に新之輔は歩を速めて、声のするほうに向かった。八丁堀から霊岸島に渡る橋の川縁に、五、六人ほどの人だかりがある。
勘三郎親分の顔も見える。紺の股引に着物を尻端折りし、でっぷりと太い腰に十手を差している。いかにも岡っ引きとわかる格好だ。
走り寄って橋から川を見ると、町人らしい年老いた男が、水の中を浮き沈みしながら流されている。このままだと、大川に流される。
新之輔は川に沿って、大川端へと走った。走りながら腰から刀を外し、着物を脱いだ。脱いだ着物で刀をくるみ、道端に置くと、やおら頭から川に飛び込んだ。
「うおーっ!」という歓声があがった。
水は噛みつくように冷たかった。新之輔は水面に浮上して一息つくと、見事な抜き手で流される老人に近づいていった。
水中で男の身体を捉まえた。意識を失っていた。六十に近い歳のようだ。新之輔は男の身体を横抱きにして、岸に向かって泳いだ。
助けた男を、小壺芳美の家に運んだ。与力の寺内頼母が顔を見せた。同じ敷地内に住む寺内は、すでに事情を聴いていると見えて、新之輔に向かって言った。
「おう、新之輔、世話になるのう」
浪人者に対しても、親し気な物言いだ。新之輔は、そういう寺内が好ましく感じられる。やたら威張ったりせず、この与力にはおおらかな気配があった。
芳美の指示により、板の間に寝かせ、濡れた衣服を脱がせた。そこで新之輔はどきりとした。女のように色白だった。それに、六十に近い年齢と思われるのに、腰や尻はむっちりと肉がついている。
「濡れた身体を拭いて、暖めてやらねばなりませぬ」
芳美が言って、手ぬぐいで男の身体を擦りだした。
「これだけでは、身体の芯まで暖まりませぬ。新之輔さま、裸になってこの男を人肌で暖めてください」
一瞬気後れしたが、新之輔は医師に促されて裸になり、布団の中で男の冷えた身体を抱いた。そうやって熱を与え、生気をそそぎこむ。
最初は相手を助けたい一心だった。しかし落ち着いてくると、今の状況に戸惑いを覚えた。何もかもさらけ出した裸で、老爺を抱いているのだ。目を閉じた顔は青白いが、どことなく素朴なあじわいがあった
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