「ねえ、あなた。父をこのマンションに引き取ろうと思っているんだけど、あなたはどう思う」
共稼ぎの二人が休みの日、妻が私に持ちかけた。
私は軽くうなずいた。
「いいんじゃないか」
「あら、軽く言うのね。もっと何か言うと思った――」
「だって、お前。お母さんが死んで、お父さんも一人じゃ寂しいだろう」
「優しいのね。――私にはちっとも優しくないくせに」
「それはお前の勘違いだろ。まあ、子供が二人も家を出て、部屋は空いているんだ。お父さんを引き取るに問題ないよ」
「あなた、本音で言ってるの。何か裏がありそう」
妻は近くにある私立大学で、教育学を教えている。どうも教職者という人種は、ものごとを複雑に考えすぎるきらいがある。
で、私は言った。
「お前、俺がいいと言ってるんだから、素直に喜べよ」
妻はあっさりと折れた。
「あら、そうね。賛成してくれて、ありがとう」
というわけで、義父と同居することになったが、私はときめきを覚えていた。
以前から義父は、気になる存在だった。
妻と結婚して26年になる。私は九州の片田舎で生まれ育ち、関西の国立大学を出て、東京の会社に就職した。東京に来た当初は、大都会の雑踏に戸惑った。鉄とガラスで出来たビル群に、何か殺伐としたものを感じていた。
そんなとき、趣味の水彩画が私を癒してくれた。私はよく休みを利用して、自然の残った郊外にスケッチ旅行をした。
妻との初対面は、小石川後楽園だった。園内で私のスケッチを覗き込んで、彼女が「お上手ですね」と声をかけたのが、付き合いだしたきっかけだった。それから1年と経たずに私たちは結婚した。
最初は住都公団の賃貸アパートで生活した。子供は3人出来た。男の子一人と女の子二人。その後、経済的に余裕が出来たとき、妻の両親が住む家に近い、白山の4LDKのマンションを購入した。
そして今や、二人の子供は結婚して家を巣立ち、末の娘だけが高田馬場の大学に通っている。
義父がマンションに移ってきたとき、長男が使っていた部屋を明け渡した。上の娘の部屋は、妻が書斎にしている。私が52歳、妻が50歳のときである。
これまで義父が住んでいた一軒家は、2LDKの狭くて古い家だったが、不動産屋に頼んで売りに出した。
現役のとき都庁に勤めていた義父は、アクのない飄々とした好人物だった。75歳になるが艶々とした白磁のような肌をしている。中肉やや背が低い肉体は、ハイキングを趣味としているだけあって、贅肉がなく適度に締まっている。
義父はマンションに移り住んだ翌朝から、白山周辺を散歩しだした。すぐそばの白山神社に立ち寄り、小石川植物園や六義園まで歩いて回る。
私も休みの日に、義父に付き合って歩いたが、義父は70代とは思えぬ軽い足取りで、全行程を苦も無く歩いている。
義父はときどき遠くを見るような目つきをした。それは亡き義母を想ってのことだろう、と私は推測した。
ある日、会社にいる私に、妻から電話があった。父が足を怪我して病院にいるので、都合がつけば病院に寄ってくれないか、と言う。
私は会社役員だったので、自分の裁量で時間調整ができた。そこで秘書に事情を話して、病院に駆けつけた。
驚いたことに、病院の待合室にはマンションの管理人がいた。
幸い義父の怪我はねん挫程度で、大事には至らなかった。タクシーを呼んで、松葉杖の義父と管理人を乗せて、マンションに帰った。
事情を聴くと、歩道を歩いていた義父は、後ろからやってきた自転車と接触して転倒した。自転車に乗っていた若い女はそのまま立ち去ったが、たまたま通りかかった管理人が助けてくれた。救急車を呼んでもすぐに来ないと判断して、管理人は義父を抱っこして病院まで運んだ――と言う。
そのまま走り去った若い女に憤りを覚えたが、それよりも義父を抱いて病院まで運んだ管理人に感心した。義父が倒れた場所から病院まで、1キロメートル近くある。その距離を、義父を抱えて歩いたと言うのだ。
管理人の高尾健一は、年寄りが多い管理人としては珍しく、まだ50代の男だった。体はさほど大きくないが、固太りの頑健な肉体をしている。それに、笑顔のやさしい親しみやすい風貌をしている。とくに二重瞼の小さな瞳が可愛らしい。
私はこの管理人と気が合って、いつも親しく言葉を交わしていた。そして何かの機会で、彼の不幸な境遇も知っている。
高尾は以前、工務店を経営していた。ところが不況のあおりを受けて会社は倒産し、残ったのは多額の借金だけだった。不幸中の幸いは、彼は独身で、家族の心配をしなくてすむということだった。所有していた不動産は、すべて借金の肩に取られ、丸裸同然で世間の荒波に放り出された。
以来、タクシーの運転手や建設現場の日雇い労働者など職を転々として、現在のマンション管理人に落ち着いている。
そんな悲惨な経験
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