ずっと昔、大学4年生の冬にスキー旅行に行った時だ。
来春の就職先も決まり、気がかりなことは何一つない。青空のもと、白銀の世界でスキーをやるのは爽快だった。気力は充実、こんなとき若い性欲が増すのは当然のことだろう。
旅館に泊まった夜、昼間目を付けていた女のもとに夜這いした。相手が嫌がらなかったので、調子に乗って2回やった。それが誤算だった。東京に戻ってしばらく経ったあと、女から電話があった。妊娠したと言う。
それからすったもんだした半年後、私たちは結婚式の披露宴会場にいた。そのときすでに、女の腹は大きくなっていた。
彼女は早くに母親を亡くし、父親と二人で生活していた。そして私も父を亡くし、母子家庭で育った。共に片親同士の結婚である。
世間一般の父親は、自分の娘が結婚前に孕まされたと知ったら激怒するだろうが、女の父親は違った。結婚式場の控室で親族紹介があったとき、よくやったと言わんばかりに私の手を握ったのである。
女の父親、つまり私の義父となる人は、その年代にしては大柄な体格をしていた。色の白い艶々とした肌は、娘に引き継がれたようだ。彼は大学の教授で、国文学を専門としていた。また片や、小説も書いている。
父を早くに亡くした私は、年配男性に淡い憧憬の念を抱いていたが、彼女の父親は、まさに私の本理想となるような人物だった。切れ長の目をした上品な顔立ちや、色の白い艶やかな肌、ふくよかな肉体は、私をあらぬ妄想に駆り立てる。
しかし彼の肩書が、私の熱情を鎮める。授業より遊びを優先してきた私は、大学の教授に苦手意識を持っていた。そのうえ、すでに彼は著名人で、たまにテレビに出演することもあった。
安アパートで新婚生活を始めた私たちは、子供を二人作り、私の給料が増えるに伴って、広いアパートに移り住んだ。ひとりで生活していた私の母も呼び寄せた。その母に子育てを頼んで、妻も働きだした。
その間、義父は独り住まいで、私たちの生活に干渉しなかった。義父は経済的に裕福であったはずだが、生活費の援助は一切してくれなかった。ただし、孫たちに対しては人並みに甘いお爺ちゃんで、孫たち限定使用という条件で、私の妻に養育費を与えていた。
どうやら義父が伝えるのは、自立の精神のようだ。
結婚して20数年の歳月が流れ、私たちは念願のマイホームを持ち、二人の娘たちも順調に育って、今や立派な社会人だ。そして私の母も、すっかりお婆ちゃんになっていた。
古希を迎えた義父は、今もって大学で国文学を教え、片や小説家としても活躍していた。義父の著書を何冊か読んで、彼の本質を知ったような気がした。
お堅い本と思っていたが、案に相違して気楽に読める本が多かった。義父は旅行好きで、ローカル線を使った旅や全国の温泉巡りなど、紀行文も何冊かある。
本の内容からは、結構自由奔放な考え方をしているのが窺える。それに男性同士の友情をテーマにしたものが多い。紀行文も、気の合った男の友人と二人で、旅をしているものが大半だ。
そんなある日、義父から電話があって、9月の4連休を利用して長野に行かないかと言う。「男だけのふたり旅もいいもんだぞ」と言うところをみると、私だけ来いということらしい。今や家族の誕生日以外、家族そろってやることも無くなっていたので、私は義父の誘いに乗ることにした。
(でも、今さら何でだろう?)一抹の疑問は残った。
9月の敬老の日と秋分の日が続く、4連休初日の土曜日、義父と私は上野駅で待ち合わせして、北陸新幹線に乗っていた。さすがに義父は旅慣れた服装をして、小型のキャリーバッグを引いてきた。
新幹線の中で、義父と向かい合って会話をするのは、ある種苦痛だった。なにしろ相手は高度の知能を持つ大学の名誉教授である。それに普段は、滅多に義父と会うことがない。だから何を話していいか分からなかった。
しかし有難いことに、義父のほうから話しかけてくれた。
「きみと二人きりで旅をするなんて、初めてだな」
「はい。これまで何度かご一緒したことはありますが、いつも家族がいました」
「きみ、少し硬いようだが、リラックスしてくれ。私は見かけほど、真面目人間じゃないんでね」
「はあ」
リラックスしてくれと言われても、すぐに出来るものじゃない。私がウジウジしていると、義父は席を変えて私の横に来た。恰幅の良い義父の身体が、私を少し圧迫する。
「どうだ、こちらのほうがリラックスできるか」
「ええ、まあ――」
「それで、きみは浮気したことがあるの?」
いきなりドキリとすることを聞いてきた。義父の著書を読んでいて、不良の勧めのようなことを書いているのを思い出した。で、正直に答えた。
「――あります」
「何人くらい?」
「――!」
私は一瞬、沈黙した。私はこれまで、主に東南アジア方面の海外出張が多く、行った先々で女を抱
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