養父の動画に気づいたのは、あるポルノサイトを見ているときだった。
そのサイトは、中高年のゲイポルノを専門的に扱っていて、ネット上でパソコンやスマホにインストールできる動画配信を行っていた。
サンプル動画でそれを見たとき、まさか、と思った。しかし、あまりにも養父に似ている。それで支払い手続きをして、有料動画をインストールした。
ホテルの一室で、老人が自らを慰めるシーンから始まった。老人はシャツのボタンをはずし、下着に手を潜り込ませて乳首をもてあそぶ。その手が下に伸びて、ズボンの布地越しに股間をまさぐる。ベルトを外し、ファスナーを押し下げて、逸物を取り出す――。
やがて相手役が現れる。私と同年代の30代半ば、ガタイの良い男だった。
老人と男の絡みが始まった――。
老人を大股開きにさせて、男が執拗に性器や菊座をもてあそぶ。沁みひとつないきれいな双丘が印象的だった。菊座もみずみずしい薄紅色をして、色白の双丘と対比して、妙になまめかしい。
しばらくして男が挿入体勢に入った。大きな身体に比例した、太い性器。さすがに老人の顔が、苦痛に歪む。
あとは落花狼藉だった。前から、後ろから、横から。男は容赦なく老人をいたぶった。
あんぐりと口を開けて男根を呑み込む菊座。勢いつけて出没するまがまがしい男根。それらがアップで映し出された。
男と老人の性交シーンが延々と続いた――。
最初から最後まで見終わって、養父だと確信した。
どうして養父は、こんな動画のモデルになったのだろう?
養父は長年、タクシーの運転手をやっていて、ようやく個人タクシーの資格を得た。そして今も、個人タクシーを続けているはずだった。
とにかく養父と会って、問いたださねば。私は別居する養父に電話した。
私が15歳のとき、両親は飛行機事故で死亡した。突然の訃報が届いたときは、現実感が伴わなかった。昨日まで顔を見て、話をしていた父や母が、突然いなくなったのだ。
葬儀のあと親戚が集まって、15歳の私を誰が引き取るか話し合った。結局、遠縁にあたる今の養父に決まった。その当時、養父は46歳にして独り身だった。
私は養父のアパートに引っ越しして、養父と二人きりの生活を始めた。
養父は、それまで私が住んでいた両親の家を売却した。その金に加え、事故の賠償金や生命保険金で、経済的には潤沢だった。
養父は温和で、おとなしい人だった。それに真面目だった。私に帰属する金は、私名義の銀行預金にして奨学資金に当てた。日常の生活費はタクシー会社の給料で賄っていた。
養父との同居生活は、今振り返るとあまり思い出がないように思う。二人が顔を合わせるのは、朝と夜の食事のときに限られていたし、養父が休みの日も、一緒に何かすることは殆どなかった。
私は大学を出て都市銀行に就職した。そして26歳のとき、職場の女性と結婚して、養父のアパートを出た。
家庭生活は円満で、子供も二人できた。
養父のもとには、正月と養父の誕生日に訪れた。そんなとき、養父は目も口元も緩ませて私の子供たちを眺めていたが、どことなく淡白だった。ようするに養父は、家族と一緒にいるよりも、一人でいるほうが落ち着けるのだ。
「どうしてあんなビデオに出たの?」
私は養父のアパートに来ていた。そして単刀直入にビデオの件を詰問した。
おとなしい養父は、私の顔をまともに見れず、ずっと下を向いたままだった。
「父さん、黙ってちゃあ分からないよ。どうしてなの?」
私は養父の話を聞くまでは帰らないという、断固とした態度を取った。
頑固に口を閉ざしていた養父も、とうとう話しだした。
タクシーを運転していて、つい気のゆるみで前の車に衝突した。軽い接触で、双方の車に傷はついていなかったが、相手が悪かった。暴力団風の男たちに囲まれて、事務所に連れ込まれた。財布にあった2万円を払おうとしたが、「そんなはした金はいらない。身体で侘びを入れろ」と言われて、バスルームに連れていかれた。裸にされ、シャワーで体を洗わされたあげく、浣腸までされた。
そのあと、奥の部屋に連れていかれ、ベッドに押さえ込まれて、男たちに後ろを犯された。何度も何度も――。
「それでビデオに出されたの?」
「ああ――」
「父さんが連れていかれた事務所は分かる?」
私は、事務所の住所を書き留めると、その日は帰った。
その後、友人の伝手を頼って警察署に行った。生活安全課の課長が、話を聞いてくれた。
「分かりました。こちらで調べてみましょう。しばらく時間をください」
私が話し終えると、課長はしっかりとした口調で言った。
それから1週間ほどして、その課長から連絡があった。
私はさっそく、警察署に出向いた。
「相手は組の連中でした。車をぶつけられた腹いせに、老人のオカマを掘ったのは間違いない、と白状しました。しかしポルノビ
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