(4)衝動

心地良い疲れが、毛穴の隅々から抜け出ていくようだ。シニアクラブの会長、伊藤英文は、湯の中でのびのびと手足を伸ばした。
(ああ――鬼怒川に来てよかった)露天風呂に浸かると、つくづくそう思う。火照った肌を外気に晒して、大自然の中にいるのを実感する。
東京の奥座敷と言われる鬼怒川温泉は、いつ来ても楽しめる。四季折々の表情を見せる川の流れや深い渓谷美が、心を豊かにし、疲弊した神経を和らげてくれる。
弱アルカリのやわらかい湯は、各種の効能が高く美肌効果もある。
酒を控えている伊藤は、宴会の席を早めに切り上げて、今日2度目の入湯をしていた。旅に出た刺激がそうさせるのか、彼はいつにない充実した力を覚えていた。
ふと視線を転じると、区役所の宮内課長の姿に気づいた。ちょうど湯から上がるところだった。背が低い小太り体型、女のように色の白い、きれいな肌をしている。湯煙り越しに、むっちりとした大きな尻が揺れ動くのを見ていると、何かいけないものを見ている気がした。伊藤は慌てて目を逸らせた。



風呂から上がって、脱衣場で濡れた身体を拭いていると、ほかの老人クラブの会長が数人いた。少しアルコールの入った彼らは、屈託ない顔つきで会話をしている。
「最近、朝立ちしなくなった」
「最近?ずっと前からでしょう?」
「そんなことはない。わしがやりたくても、女房がやらしてくれん」
「またまた、強がりを言って。ちっとも硬くなっていないじゃない」
80代に入っていると思える老人たちの会話に、伊藤は聞いていて苦笑した。と言っても、自分とて彼らとさほど年が離れていない。
性に人一倍の関心を持つ伊藤だが、他人の前では決して性の話題を出さない。
70歳を過ぎた頃から、目に見えて精力の減退を感じていた。6つ下の女房との交わりも、最後がいつだったか思い出せないほど、ずいぶん前のことだ。
顔見知りの老人が伊藤に気づいて、声を掛けてきた。
「伊藤さん、お若いあなたはまだ現役なんでしょう?」
そこでうらやましそうな目つきで、伊藤の股間を見た。「カリの張った立派なチンポだ。さぞかし奥さんを喜ばしているんでしょうね」

――*――

河合昌介は珍しく外に出て、神楽坂の路地にあるショットバーに来ていた。会社ОBの集まりがあり、そのあと昔なじみの店に寄ったのだ。外壁に蔦の絡まる古色蒼然としたその店は、馴染み客しか来ない、隠れ家的な存在だった。
中に入ると、カウンターの奥に一人の客がいた。
店のバーテンダーは変わっていなかった。英国紳士風のスマートな体型、形の良い白い口髭、髪はだいぶ薄くなっているが、穏やかな笑みは昔のままだ。その相方である、太目の体型をした無口な従業員。カズさんとヨシさん――二人はタイプこそ違え、兄弟のように息の合ったコンビだった。
「いらっしゃい、スケさん。お久しぶりです」
バーテンダーが声を掛けた。ここに来なくなって5年以上が経つが、彼は昌介の愛称を覚えていた。
「いつものでいいですか?」
「ああ」
さっそくカズさんが、手際よくカクテルを作る。
この店特製のエキストラ・ドライ・マティーニだ。氷の塊りにベルモットを注ぎ、これをカクテルグラスに入れる。冷やしたジンを注ぎ、最後にレモンを軽くしぼって1滴たらす。
カズさんのほっそりとした手が優雅に動いて、見ているだけでうっとりとする。

「5年になりますか?」
「ああ、それくらいだな」
「70――ですね」
「ああ。カズさんと同い年だ」
「いえ、私は4月生まれですから、もう71になりました」
二人の会話を黙って聞きながら、従業員のヨシさんは、グラスを洗ったり、酒瓶を拭いたり、小忙しく働いている。どうかした拍子に、小腰を屈めた後姿が見えるのだが、ズボンの布地が張りついた丸っこいお尻が、目を楽しませてくれる。
(二人はどんな関係だろう?)
以前も気になっていた。と言うのも、最初に昌介をこの店に連れてきたのは、彼に男色を教え込んだ上役だったからだ。ここも同じ趣味を持つ店だろうか?

昌介は決して深酒をしない。1杯か2杯のカクテルを飲んで、金を払ってあっさりと帰って行く。マティーニを飲み終わって、もう一杯飲もうか考えていると、カズさんが黙って、一番奥の棚からウィスキー瓶を取りだした。
18年もの。シングルモルトの高級ウィスキーだ。それを錫の小さな容器に注ぎながら、カズさんは説明した。
「先だって、ロンドン帰りのお客さまにいただいたものです」
錫の容器を昌介の前に置いた。「どうぞ、お試しください」
昌介は手に取った。銀色の容器の中で、琥珀色の液体が輝いている。
口に含んで、味わった。「これは美味い!」
カズさんが、嬉しそうにほほ笑んだ。
「あなたなら、きっとお気に召されると思っていました。」
「じゃあ、お返しと言ってはなんですが――」
昌介は
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