毎日、暑いですね。それに新型コロナウイルスの猛威は依然として留まるところを知らず、わたしも3月来、外出抑制の日々が続いています。
わたしは本来、外に出るのが好きで、東京の下町を歩いたり、郊外にハイキングしたり、小型リュックを背負って歩き回っていました。
そうした活動がこの4ヶ月間あまり、ほとんどできていません。そしてこの運動不足は、70代の爺さんには応えます。体が重くて、動くのがおっくうで、益々運動不足に陥っています。
これではいかんと身に沁みついた物書きの習性を生かして、つれづれなるまま、思いつくまま、エッセイを書いてみました。
とくにテーマを決めず、話があっちに飛び、こっちに飛びしますが、そのへんは平にご容赦を。
わたしは北九州で生まれ育ち、成人後は関東で生活しています。その間、三度、関西での生活も経験しています。
北九州は成長期を過ごしただけに、当地の気風は生まれながらに、すっかりわたしの身に沁みついています。
先見の明があって竹を割ったようなさっぱりした性格――と言えば聞こえがいいですが、好きやすの飽きやす、どちらかといえば直情型、見栄っ張り、意外と冷淡、男好き――等々のタイプの人が多いようです。
そして関東と関西。このエリアは成人後に生活を始めたので、そこの気風は意識的に染まったようです。
いま、老後を関東で過ごしていますと、関西、特に大阪での生活がなつかしく思い出されます。と同時に、大阪人の気風に思いが至ります。
例によって、わたしの独断と偏見で綴ります。
大阪人は、世の中の普通のことに、安閑としておれない。ありきたりのことに、我慢が出来ない。だから絶えず、なんらかの創意工夫を凝らさずにいられない。ところが、独自に工夫したものは、大阪では大成しない。大成するのは東京に伝わってから。
――と言うのは、わたしの穿った見方でしょうか。
昨今のテレビ番組は、お笑い芸人で溢れています。中でも吉本興業の芸人さんが目立ちます。
彼らの語りを聞いていると、自分のことを客観視しているようなところが感じられます。
例えば、「やったってえな」
これは「おれにくれ」あるいは「おれにしてくれ」というような意味合いでしょうが、まるで三人称のように聞こえます。
自分を客観視して、笑いのめして、直球投げずに、ドロップかけて――。
「もうちょっと、色つけたりいな」
この頃、何かを読んでいて、股間がムズムズしてくる――ってことが無くなりました。
自分が年取ったせいもあるでしょうが、世の中、ポルノ小説が堂々と大手を振っているせいもあるでしょう。
やはりポルノは、禁止時代に読むのが面白いようです。
――人に隠れて、ワクワク、ドキドキしながら読む――。
ところで、長年ゲイ小説を書いていて思うことは、
――面白いポルノ小説は、書き手と読み手で成立する――
ということです。
例えば――性交描写を事細かに延々と書かれても、読むほうは、途中でうんざりしてくるのではないでしょうか。なぜなら、読者がいろいろと想像力をたくましくする余地が、無くなるからです。
逆に、読み手の心にバネが無くなると、感動がありません。感動がなければ、いくら面白い小説に出会っても、退屈なだけです。
ですから、自己主張だけでない読む側の気持ちも汲んだ小説と、感受性豊かな読者の出会い――これが最高だと思います。
以前、生活情報誌『サライ』に宮本武蔵特集が出ているのを読みました。
武蔵研究の第一人者、福田正秀氏に取材した記事で、氏は今に残る文献や碑文をもとに解説しています。
この記事を読んでいて、わたしの中の武蔵像がだいぶ変わってきたので、少しご紹介いたします。
宮本武蔵が有名になったのは、吉川英治の伝記小説に因るところ大です。
この伝記小説をもとに、数多くの映画やテレビドラマが制作されましたが、武蔵の実像とはだいぶ異なるところがあるようです。
まず、恋人お通は存在しなかったこと。
次に、武蔵はただの一度も敗れたことが無く、戦場でも終始一貫して勝ち組についていたこと。
(吉川英治の小説は、関ヶ原の戦いから始まり、西軍で出陣した武蔵は敗残兵となって廻国する――)
事実は、武蔵は東軍にいて、戦地は九州の豊前国中津でした。NHKの大河ドラマとなった黒田如水(官兵衛)のもとに参陣し、西軍の大友義統に戦勝した。
また、有名な巌流島の決闘も、事実は少し違うようです。
事実は――武蔵の養父、無二流と巖流(佐々木小次郎)の私闘だったこと。
養父の代わりに武蔵が立ち会って、勝利した。そのとき、木刀で打たれた小次郎は蘇生するが、隠れていた無二流の弟子たちによって息の根を止められる。その事をあとで知った武蔵は、事件の裏にいた養父と決別する。
意外に知られていないのが、文化人としての武蔵の才能です。彼は兵法を
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