ゴールデンウイーク明けの平日、正ちゃんはひとりで、奥日光の湯本温泉に来ていました。新婚旅行のときに来た、思い出の地です。
バスに乗って、中禅寺湖から戦場ヶ原を抜け、湯滝に寄って湯ノ湖に至る。新婚旅行の時と同じルートを辿ったのです。
ターくんやマスターによって、すっかり男色の世界に嵌った正ちゃんですが、死んだ女房のことを忘れたわけではありません。
明るくて勝気だった女房には、ずいぶん助けられました。おっとりとした正ちゃんをいつも活気づけ、引っ張ってくれました。
宿のロビーで物思いにふけっていますと、俄かに宿が活気づいてきました。
ふと目を向けると、何かの撮影でしょう、カメラや収音マイクを捧げ持った若者たちの姿がありました。その中心に見慣れた顔を見つけます。――七尾和繁!
(ああ、シゲさんの旅番組の撮影か)
正ちゃんは理解しました。今回は奥日光を旅番組の目的地にしたようです。
宿付設の露天風呂は2階にありましたので、湯ノ湖が望めました。
青天井のもと、のんびりとヒノキ張りの浴槽に浸かっていますと、服を着た若い男がやってきました。
「これから七尾和繁の旅番組の撮影をします。テレビに映るのが嫌な方は、お申し出ください。カメラを向けないように気を付けます。場合によっては移動のお願いをするかもしれません。よろしくご協力ください」と言いました。
5、6人の入湯客がいましたが、誰もノーとは言いません。
(シゲさんの裸が見れるんだ)
正ちゃんは内心、ワクワクしました。
以前ネット上で七尾和繁の裸写真が流れて、好事家の間で話題になったことがあります。正ちゃんもカンちゃんから、その画像を見せてもらいました。筋肉質の大きな身体に大きな性器――その実物が見れるのです。
やがて、撮影スタッフを従えた、シゲさんが露天風呂にやってきました。素っ裸になって、何の屈託もない様子です。そして親しみを込めた口ぶりで、入浴客に話しかけます。その顔が正ちゃんのほうを向いて、視線が止まります。
「正ちゃん?」
声をかけられて、正ちゃんはカメラを意識して返事をします。
「ああ、シゲさん、お久しぶり」
そこでシゲさんはカメラのほうを向いて、説明します。
「これは奇遇だ。彼は、ずっと学校が同じだった幼馴染なんです」
撮影の関係上、二人はそれ以上話を続けることはできませんでしたが、正ちゃんにとっては、それが幸いしました。なにしろシゲさんの生の裸体を間近に見て、彼の心臓はドクンドクンと音が聞こえるほどに高鳴っていました。なにしろ若いころ、フリースタイルのレスリングで、学生チャンピオンになったことがある身体です。年老いたとはいえ、胸や腕や太ももに昔の名残があります。
そして無意識に、ターくんの持ち物と比べていました。
その夜、正ちゃんは、床についてウトウトしていました。なかなか深い眠りに入れません。露天風呂で見たシゲさんの裸体が脳裏に焼き付いて、興奮状態が醒めきらないようです。
そのとき、ドアの開く微かな音を耳にしました。
(しまった!鍵をかけていなかったんだ)
古い宿だったので、オートロックではなく、鍵をかけなければ施錠できなかったのです。ミシッミシッと人の動く軋み音。足元灯の細々とした明かりの中で、何者かが室内に入り、正ちゃんの眠るベッドに近づいてきます。
じっとこちらの寝顔を見ているようです。相手の息づかいまで感じます。手が伸びて、胸元を揺さぶられたところで、正ちゃんは跳ね起きました。
「シゲさん!」
枕元灯を点けると、暗闇にシゲさんの顔が浮かび上がりました。
「鍵があいてたんで部屋に入った。――怖いんだ。横に居させてくれ」
シゲさんは言って、返事を待たずにベッドに上がり込み、正ちゃんの身体を乗り越えて、反対側の空いたところに横たわりました。
正ちゃんは最初、夜這いかと思いましたが、どうやらそうではないようです。
「こんな夜中に、何があったの?」
正ちゃんの問いに、シゲさんは話し出しました。
「宿の主人が、湯ノ湖にまつわる怪談話をしたんだ。それにテレビを見ていたらほかの怪談番組があって――呪われている古い家の話だ。それで急にひとりでいるのが怖くなって」
そこでシゲさんは、正ちゃんの身体にくっつくように身を寄せました。「正ちゃんの横に居れば安心だ。しばらく話をしてくれ」
正ちゃんは呆気にとられました。大の大人が怪談話くらいで、ひとりでいることが怖いなんて――。でもそれが、シゲさんらしいところです。リーダーシップを発揮する一方で、妙なところで弱点があるんです。そういえば、毛虫が苦手なのもそうです。
正ちゃんは冷たく言いました。
「話をするたって、もう遅い。きみは大人だろ。わたしはもう寝る」
正ちゃんは背中を見せて、横向きになりました。
「そんな冷たいこと言わないでよ。
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