幼児は誰しも可愛いものですが、わたしの子供時代も同様で、まるで仏さまが生まれ変わったようだった、と母は言います。というのも、3歳のわたしをお寺に連れて行ったとき、お寺の方丈さまが思わずわたしに向かって手を合わせたそうです。
それはともかく、幼少の頃からわたしには、年配男性の気を惹く何かがあったようです。わたしは父親よりも母親のほうの血を色濃く継いで、色が白く、ふっくらとした体つきをしていました。
まずは、近くに住んでいたお爺ちゃん。
このお爺ちゃんは旧家の出で、すごい頑固者でした。近所の人たちから、多分に畏怖心を持たれていました。小柄で禿げ頭、いつも苦虫を噛み潰したような顔をしています。
ところが幼いわたしとは不思議にウマが合って、このお爺ちゃんの大きな屋敷によく遊びに行きました。お菓子をもらったり、五目並べを教えてもらったり、いっしょに竹細工の玩具を作ったり、一日中遊んでもらった記憶があります。
気難し屋のご隠居が、自分の孫でもない幼児と仲良く遊ぶ姿に、周りの大人たちは不思議がっていたようです。
母方のお祖父ちゃんにもよく可愛がられました。お祖父ちゃんは汽車で3駅離れたところに住んでいたので、1年のうち会えるのは数えるほどです。
それでもわたしは、幼心に、このお祖父ちゃんに親愛の情を抱いていました。
甘い色気を感じさせる古風な男前で、同じ年代の中では体が大きいほうだったと思います。
お祖父ちゃんは口数が少ないけれど、そばにいると不思議に心が和みます。一緒に風呂に入ったり、夜中に添い寝してくれたり、今思い出しても心温まる気持ちになります。
一番お世話になったのは、浄土宗のお寺の方丈さまでした。おそらく50代半ばだったと思います。でっぷりと太って、ツルツル坊主だったので、当時のわたしは、方丈さまをお爺ちゃんと思っていました。
方丈さまには、奥さまと成人したふたりのお子さまがいましたが、わたしが遊びに行くと、いつも方丈さまがお相手をしてくれます。
わたしが幼稚園に行く前から読み書きを教えてくれました。大のお気に入りは、方丈さまの大きな股座に抱かれて、本を読んでもらうことでした。
お香の染みこんだ体から良い香りがして、読経で鍛えた声が耳に心地よく聞こえていました。
こうして幼少期のわたしは、物心のつかない頃から、小父さんやお爺ちゃんと呼ばれる年代の男性に可愛がられて育ちました。幸いだったのは、この時期に幼児好みの変態的な男に出会わなかったことです。もし出会っていたら、確実にわたしは狙われていたでしょう。
わたしが年配の男性を意識し始めたのは、中学生になった頃からです。
わたしは5人兄弟の長男坊。何かと期待されることが多く、明治生まれの父は、わたしに対して、先頭に立て、喧嘩をしても負けるな、といったようなことを求めます。
ところがわたしはいたって大人しく、喧嘩をする前に逃げ出すような子供でした。体は大きいが肝の細かったわたしは、争いごとを人一倍きらっていました。
そんなことから、厳格な父に対する反動で、頼りがいがあって優しい年配の男性に、あこがれを持つようになったのです。
中学時代の記憶にあるのは、美術の先生と校長先生です。
美術の先生は50歳前後で、どちらが本業か分かりませんが、お寺のお坊さんもやっていました。背は低いほうで、固太りの恰幅のよい体型でした。口元を引き締めた様子は、本で見るベートーベンの顔に似ていました。
先生は、生徒たちから頑固親父として畏れられていましたが、どういうわけかわたしは、この先生にことのほか気に入られていました。
中年太りが始まって、いつも窮屈そうなズボンを穿いていましたが、薄い布地に包まれたでっぷりとしたお尻や、前に浮き出た太い性器の形状が、はっきりと分かります。授業中、教壇に立つ先生の股間を見るにつけ、布地の下の性器のようすをあれこれと想像して、心騒がせていました。
いっぽう校長先生は、50代後半のロマンスグレーの頭髪をした、いかにも優しそうな紳士でした。
あるとき、友人とふざけて学校の廊下を走っていて、曲がり角で校長先生と鉢合わせしたことがあります。わたしは走った勢いで、校長先生の胸に飛び込むような格好になりました。
先生はわたしを抱きとめ、「おいおい、廊下は走っちゃだめだぞ」とやさしく言って、わたしのお尻をぽんと叩いて解放してくれました。
そのときの、校長先生のやわらかい体の感触や温かい笑顔は、思い出すだけでもうっとりとします。その夜、わたしは初めて夢精したのを覚えています。
高校生になってからは、取り立てて記憶に残っている年配男性はいません。
学校が県下有数の進学校で、毎日が勉強、勉強で、なんとなく心にゆとりがなかったせいもあるでしょう。
それでも、登下校の途中で、たまに出会う素
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