(5)65歳その後2
さすがに初秋の朝は、肌寒かった。和繁は早朝の露天風呂に入っていた。あたりはまだ暗く、裸電球の明かりがぼんやりと湯船を照らしている。
「昨夜は寒かったのではないか。ヨシは布団からはみ出していたようだが」
和繁は、横の湯に浸かるヨシに声をかけた。
「とんでもございません。七尾さまの温もりを頂戴して、ぐっすりと眠ることが出来ました」
ヨシがうやうやしく返事をした。
昨夜ヨシと睦みごとをしたあと、そのまま同じ部屋に泊まらせたのだ。ふたりは添い寝するように、ひとつ布団で寝た。
それでも和繁は気づいていた、ヨシは和繁が寒い思いをしないように、ときどき乱れた布団を整えて、自分は布団の端に身を置いていたことを。
湯から出て洗い場に腰掛けると、ヨシが背後から甲斐甲斐しく背中を洗った。そのサービスを受けながら、和繁は訊いた。
「ヨシは誰かに雇われているのか?」
「どなたにも雇われていません。ただ、旦那衆からお声がかかれば、出向いて日銭を稼ぐだけでございます」
「じゃあ、ヨシがこの日田から出て行っても、誰にも迷惑をかけないんだな」
「――」
一瞬の沈黙があった。質問の真意を推し量ったのだろう。「はい、どなたにもご迷惑はお掛けしません」
そこで和繁は、振り返って腰掛け直すと、ヨシの顔をまっすぐに見た。
「どうだ、俺の元にくるか?」
突然の申し出に、ヨシは驚いた顔をした。
彼が反応する前に、和繁は説明を始めた。
「いま俺が出ているテレビの仕事は、だいぶ忙しくなってきた。人も必要だ。だから俺の元に来てくれ、と頼んでいるのだ」
「でも――」
ヨシは迷っていた。「私で、七尾さまのお役に立てるんでしょうか?」
「心配するな。取りあえず、俺の付き人あたりでどうだ。それに、俺はまだヨシの尻を味わっていない。東京に戻ってから、じっくりやろうじゃないか」
――**――
「ほう、シゲさん、古風な宿に泊まったんだね。侘び寂びがある。松尾芭蕉が生きていたら、喜びそうな宿だ」
「露天風呂も風情があるね。こぢんまりとして親密感が湧く」
「それに料理もいいし、板前さんも男前ですね。いいなあ、社長はいつもタダでこんな旅をしてるんですね」
「クニさん、何も好き好んでやっているわけじゃない。タダと言っても、仕事だぞ。それに、板前が男前って、俺となんの関係があるんだ」
「でも、代わりにヨシさんを連れ帰ったじゃないの。シゲさん、旅先で男を引っ掛けまくってるんじゃないの」
いつもの仲間がマンションに集まって、テレビで放映されている旅番組を見ながら、あれこれ感想を述べていた。ジャズ練習のあとだった。
番組は、ひと月ほど前、九州日田の温泉宿を収録したものだ。
そのとき和繁の誘いで東京に来たヨシは、和繁のマンションで生活していた。
クニさんを手伝って、家事や雑事をやっているが、今やクニさんに重宝がられている。夜も、ベッドを追加して、クニさんと同じ部屋で寝ている。
替えのお茶を持ってきたヨシが、自分の話題が出たので恥ずかしそうにした。
引き下がるヨシの後ろ姿を見て、シユウちゃんが冗談交じりに言った。
「いい尻をしてる。あれがシゲさんだけのものなんて、もったいないな」
すかさず和繁が言った。
「ヨシは俺の所有物じゃない。欲しければシユウちゃん、頼んでみろよ。ヨシはタチもウケも両方オーケイらしいぞ」
タチと聞いて、セイさんが目を輝かせた。
「じゃあ、わたしもお願いしようかな。最近、お通じが悪いんだ」
和繁が苦笑いした。
「ヨシが欲しいんなら、クニさんのスケジュール帳に書き込んでよ。いくらヨシが若いって、何人ものお相手はできない」
「えっ、社長。そんなスケジュール帳なんてありませんよ」
クニさんが驚いて言って、和繁が笑い飛ばした。
「バーカ、冗談だよ」
実のところ和繁は、ヨシを東京に連れ帰って以来、この男を抱いていない。彼が望めば、ヨシは従順に抱かれるだろう。しかし、日田でヨシが体を売る男娼のように扱われているのを見て、二の足を踏んだ。
彼は自分の一方的な快楽のために、ヨシを抱きたくなかった。ヨシが強制されずに、自分の意思で抱かれたいと言うのであれば、そのときは応じよう。
別に、和繁とてきれいごとを言う資格など無い。クニさんが好きで同棲したが、一穴主義を貫くわけでもなく、つまみ食いのように他の男たちとも寝ている。クニさんを入れて、スワッピングのようなこともやった。
しかし、ヨシに対しては別だった。ヨシのこれまでの人生は、彼の人格が軽視されたものだったのではないかと思う。強制されたことを従順にやるだけだ。
ヨシを自分の元に引き取ったのは、彼に対する同情もある。しかし、本質のところは、ヨシにもっと自分を大切にして、自分らしく生きてもらいたかった。それは性愛でも同じだった。
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