(3)65歳

(3)65歳

日の丸放送の会長、八馬喜一郎はとんだ食わせ者である。和繁は会社で社長をやっていた時代から、業界の付き合いで八馬を知っていた。
70歳、背が低く福々しい体付き、どことなくタヌキを思わせる風貌をしている。見た目は毒のない温厚そのものの爺さんだが、和繁の評価は、どす黒い陰謀で渦巻くデブの悪魔である。
その八馬会長が、一人でいる七尾和繁のところにやってきた。
「よう、シゲさん。今やお茶の間で大人気だね。あんたに用があっても、会見の予約がなかなか取れんわ」
八馬がお世辞を言うのは違和感があった。案の定、毒舌が続いた。「やっぱ、あんたは社長業より、テレビタレントのほうが性に合ってるな」
ここで反応しようものなら、またぞろ八馬の毒舌を聞かされて、精神衛生上よろしくない。それに呼び出しでなく、八馬本人がわざわざ会いに来たということは、ほかに何か目的があるのだろう。

和繁が黙っていると、八馬がお世辞笑いをした。
「おいおい、わしをスルーすることないだろう」
顔は笑っているが、目は笑っていない。そこでずばり本題に入った。「ところであんたは、愛川進の番組に出るのを断ったそうだな」
(ふん、そういうことか)和繁は内心、苦笑いした。
愛川進は50代の歌手だが、今やテレビタレントとして活躍している。歯に衣を着せない直言で、人気があった。彼の定番となる番組は、毎回話題の人物を招いて談話するコーナーである。
さほど攻撃的な物言いをするわけではないが、招かれた客は彼の鋭い追及に、いつしか丸裸にされ、ついには思わぬボロを出したりする。
それを視聴者は喜ぶのだ。
和繁は、この愛川進が気に食わなかった。
背が低く小太り、童顔の父ちゃん坊やで、取り巻きにはビジュアル系のスリムな男たちが多い。業界情報で彼はゲイだそうだが、本人はそんなことをおくびにも出さず、年配タレントを虐めることに喜びを覚えるようなタイプだった。
それで、持ち掛けられた愛川進の番組出演を、断ったのだ。

「どうやら愛川進は、あんたにすごく興味があるようだ。それで、本人の希望で、お声がかかったんだ。どうだい、出演を再考してくれないか」
八馬が猫撫で声で言った。
(気持ち悪っ!)と思いつつ、和繁はあっさりと言った。
「あっ、それは無理です。ぼくの心が、嫌だって叫んでますから」
「面白い――」
タヌキ面の八馬老人の目が、スッと細まった。「心が嫌だってか。しかしな――もしあんたが断るとなると、世間に写真が出回ることになる」
「写真?なんの写真ですか?」
八馬会長は、芝居がかった仕草で、手にした特大の茶封筒を和繁に渡した。

中身を取り出すと、裏通りのホテルから出てくる和繁の写真だった。ご丁寧にもいかにも親密そうに、男と手をつないでいる。
その男は見覚えがあった。「江戸職人の技」という番組で、取材の最中、意気投合して、撮影のあとホテルで親密な汗を流した老職人だった。
(このデブ。一発、尻にカマすぞ!)和繁は、口から出かかった宜しくない言葉を、かろうじて抑えた。そしてごく穏やかに返した。
「へーえ、よく撮れているじゃないですか。でも天下の日の丸放送の会長にしては、ずいぶん汚いことをやりますね」
そこで怒鳴った。「こんなの罠じゃないか!」
八馬はちっとも慌てなかった。そして冷静に言った。
「きみ、罠じゃない。脅迫してるんだよ」

結局、七尾和繁は愛川進の番組に出演した。
八馬会長に脅迫されたときは、別に自分がゲイであると世間に知られようと構わない、という思いもあった。なにしろすでに娘たちに、カミングアウトしているのだ。しかし、テレビ局で働く長女との約束があった。「お父さん、マスコミに対しては、ゲイであることは隠していてね。ま、堂々と自分がゲイであることを売りにしている芸人も多いけど、お父さんの売りは、上場企業の社長出身というお堅いイメージなんだから」と。

番組収録の日、和繁はお気に入りの着古したジーンズに、白のコットンシャツという、カジュアルな服装で現れた。下腹部をぴっちりと包むジーンズは、布地がこなれているだけに、太い性器の膨らみを露わにする。
これまで和繁は、お仲間を誘い込む勝負服としていたが、今日は年配者を食い物にする、愛川進を動揺させようという腹積もりだった。

最初はさりげない会話でスタートしたが、その内、いきなり来た。
「何かの番組で聞きました。七尾さんは、奥様が亡くなられてから、女よりも男に興味が惹かれる、なんておっしゃっていましたが――。それって、ホモに転向したってことですか?」
和繁はまったく慌てなかった。彼はのんびりと返した。
「ホモってホモセクシャルの事でしょう?だったら、男女両方の同性愛者に対する言葉ですね。どうせなら、ゲイと言ったほうがいいんじゃないですか?」
「――」
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