(1)
桂樹は千秋親子のことが心配で、毎日が味気ない生活だった。
日亜電気の仕事を断った件では、大場副社長にも厳しく譴責された。神山会長のところに行って、再度仕事を頼んでこいとも言われた。しかし彼はかたくなに、自分の考えを変えようとしなかった。
ある日、ついに決心して、文恵に電話をした。
彼女は会社にはいず、自宅にいた。声はしっかりとしていたが、思い悩んでいる様子がありありと聞き取れた。電話では慰めようもなかった。桂樹は、今夜訪問することを約束して、電話を切った。
その夜、桂樹は、文恵の家に寄った。顧客との付き合いがあったので、彼女の家に着いたのは夜の9時になっていた。
「すみません、こんな遅い時刻におじゃまして。お客さまのお相手をして、お酒まで飲んじゃって――」
部屋に入るそうそう、桂樹は言い訳がましく言った。
文恵は思いつめたような表情をしていた。いまにも泣き出しそうなのを、必死にこらえている風情だ。見ていていじらしいほどの彼女の姿に、桂樹は胸が詰まった。
ふいに文恵が、桂樹の胸にしがみついてきた。
桂樹は、彼女の体を受け止めながら、どぎまぎした。
「文恵さん――どうされました?」
「――高山さん、わたしを抱いてください」
文恵は桂樹の胸に顔を押しつけたまま、小声で言った。
桂樹は仰天した。彼はあせってどもった。
「な、なにを言うんですか、文恵さん。自暴自棄になってはいけません」
文恵はなおもしっかりと、桂樹の体にしがみついた。
「お願い、何もおっしゃらないで。初めてお会いしたときから、あなたをお慕い申し上げておりました」
彼女からは、たおやかな香りがしていた。桂樹はしなやかな体の感触に、熱いものが体の芯に沸き立つのを覚えた。
「お願い、一度だけ。このままだとわたし――生きる力を失いそう」
文恵は泣いていた。桂樹は誘惑に負けそうだった。彼女のほっそりとした体は、匂うような若々しい弾力があった。彼は気力を振り絞って離れようとした。
「文恵さん――」
桂樹は言いかけて、あとの言葉をのみこんだ。
彼女の顔には、絶望に打ちひしがれて、何とも言いようのない表情が浮かんでいた。幼くして母親を亡くし、そしていま唯一の家族、父親も窮地に立たされているのだ。
急に文恵がはかなく感じた。彼は思わず彼女の体を抱き寄せた。
二人は抱き合ったまま、立ち尽くした。
しばらくして、ごく自然に唇を合わせた。情が高まっていく――。
翌日、桂樹は会社の机の前で、ぼんやりと物思いにふけっていた。昨夜、文恵のしなやかな体を抱いて、ついに一線を越えてしまったのだ。
彼女は桂樹の体の下で、すべてを忘れてしまおうとするかのように、しっかりとしがみついてきた。そして、ひとつになったときの、甘美な苦痛としめやかな喘ぎ声。そのあとの目くるめくひととき――。
でも今は、後悔の念がじんわりと滲み出ていた。ひとときの熱情に駆られて愛を交わしたが、かえって彼女を傷つけたのではないだろうか。
それに、アンリに対しても後ろめたかった。安藤孝子に次いで千秋文恵と関係して、これで二度もアンリを裏切ったことになる。その日、家に帰るとき、彼は銀座に立ち寄って、銀のペンダントを買った。
「何、これ?」
箱の中身を見て、アンリはさして感動したふうもなく言った。
「たまたま店で見つけたんだ。きみがイルカのペンダントを欲しがっていたのを思い出して、衝動的に買ったんだ」
「あら、そう。ありがとう」
アンリはそっけなく言うと、ペンダントをその場に置いたまま、夕食の支度をつづけようとキッチンに行った。
食事中はさして会話もなく、気まずいひとときだった。いつもはおしゃべりするゲイルでさえ、物静かだった。彼は桂樹とアンリの顔をときどき盗み見るようにして、黙々と食事に専念していた。
食後、桂樹が新聞を読んでいると、ゲイルがひまそうに近寄ってきた。彼はでっぷりとした尻を、向かいのソファーに落ちつけて、意味ありげにウインクした。そして後片づけをする娘の様子をうかがい、桂樹にささやきかけた。
「桂樹、アンリと何かあったのか?アンリはなんだかピリピリしているみたいだが」
「それはこっちがアンリに聞きたいよ。せっかくプレゼントを買ってきたのに、やけにツンケンして。何だよ、あいつ」
そう言いながらも、桂樹はバツが悪そうな顔をした。
ゲイルは丸っこい顎を片手でなでながら、疑わしそうに桂樹の顔を見た。
「プレゼントねえ――」
「なんだよ、G・G、その目つきは――」
桂樹はうろたえた。「まるでぼくが隠し事をしているようじゃないか」
ゲイルは立ち上がると、桂樹の座っているソファーの肘掛けに尻を乗せた。
「もちろんきみを信じているさ」
彼は安心させるように、桂樹の肩に腕を回した。それから女性を対象に会話する、男同士の親密
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