(2)
うだるような暑さが消えた途端、すっかり涼しくなった。
浅草寺の甍越しに、東京スカイツリーのシルエットが見える。
浅草という古い街に新しいアクセントの加わった風景は、長年見慣れた大島一成にとって、目新しいものだった。
(――ま、いいか。過去と未来が、手をつなぎ合ったってことだ)
一成は、浅草に深い愛着を抱いていた。
浅草には不思議な魅力がある。昼間は観光客で賑わう反面、夜ともなると常連客だけの秘密めいた店が明かりを灯す。
仲見世を歩いていた一成は、ふと足を止めた。洒落たカジュアルな服装をした大柄な初老男が、店の若い女性に話しかけている。
なんとなく見た顔だった。
そこで思い出した。昨年、カンボジアで彼を助けてくれた男だった。確か白取という名前だった。今日はひとりのようだ。
近づいていくと、女性店員に話しかける、白取の声が聞こえてくる。
「へーえ、きみって地元の人なんだ。ここで生まれ育ったなんて、うらやましいなあ。どう、きみの時間が空いたら、浅草を案内してくれないかなあ――」
一成が声をかけると、白取は迷惑そうな顔をして振り向いた。一成より頭半分ほど背が高い。事情を話すと、ようやく思い出したようだ。
「ああ、石段から落っこちた人」
「そう、大島一成です。あの時は助かりました」
「どういたしまして。じゃあ――」
「あっ、あのう――」
相手がさっさと立ち去りかけたのを、一成は慌てて呼び止めた。「ここでお会いしたのも何かの縁だ。少し話ができませんか?」
白取は足を止めて、口ごもった。
「ちょっと人と会う約束が――」
「あの若い外人さんと待ち合わせですか?」
最初のうち白取は、一成の言葉が理解できなかったようだ。少しして、カンボジアで一緒だった外国女性のことだと気付いた。
「ああ――彼女とはなんの関係もありません。観光客同士、たまたま、アンコール・ワットで知り合っただけです」
「でもホテルで一緒だったから――てっきり、コレだと思いましたよ」
そう言って、一成は、拳から小指を突き立てた。
白取はひどく慌てた。彼は素早くまわりを見回すと、一成の腕を掴んで、人通りの少ない片隅に連れていった。
「人目のあるところで、変なこと言わないで下さいよ。あの女性とは、何もなかったのだから」
「オーケイ。お互い大人だから、そういうことにしておきましょう」
一成は訳知り顔でうなずいた。そこで、もうひと押しした。
「じゃあ、少しだけ、私に付き合ってください。この前のお礼をしたいから」
「強引な人だな」
白取はつぶやくと、諦めたように肩をすくめた。「白状しますと、人に会う約束は嘘です。じゃあちょっとだけ、あなたにお付き合いしましょう」
結局、散歩がてら、一成のオフィス兼用の住居まで行くことになった。浅草寺から歩いて20分ほどの距離だ。
白取は大柄な体格をしているが、しなやかな身のこなしを見ていると、体調はすこぶる良さそうだった。それに、ズボンの前に浮き出ている、ドキッとするような太い膨らみ――。彼が好き者なのも、何となく理解できる。
「――オフィス兼用の建物です。カンボジアで連れが名刺をお渡ししたと思いますが、そこで仲間たちと仕事をやっています」
道すがら、一成は説明した。白取は名刺のことを、すっかり忘れているようだ。
(まあ10ヶ月も経てば、忘れられて当然か――)
一成は、改めて説明した。
「株式会社銀狐です。シルバー人材関係の仕事をやっています」
白取は立ち止まって、一成の丸く突き出た腹を見て、首をかしげた。
「何かおかしいですか?」と一成。
「いや、別に。ただ――銀狐って、もっとスマートなイメージがあったもので」
白取の言葉に、一成はすこし気分を害した。
「私がスマートでなくて悪かったですね」
「いやだな、冗談ですよ」
白取は一成の背中をドスンと叩いた。親しみを込めたつもりだろうが、一成がつんのめるほどの力だった。
かろうじて踏みとどまった一成は、皮肉を込めて言った。
「あまり冗談とは思えませんな」
建物は、蔦の絡まるレンガ貼りの3階建てで、両サイドを同じような古いビルで挟まれている。一成が自慢できる唯一の財産だ。
小さな前庭の一画に、古びた濃緑色のミニクーパーが駐車している。
「1階はオフィス、2、3階は、私を含めて5人の住居に使っています。古い建物ですが、耐震補強は万全ですよ」
一成は、鼻をうごめかせて説明した。嬉しい時の癖だ。
「味のある素敵な建物ですね」
取りあえず褒めておいて、白取はミニクーパーを見て、さらりと言った。「あのポンコツ――動くんですか?」
愛車をけなされて、一瞬、ムッとしたが、一成は気を取り直して、ゆっくりと言った。
「もちろん動きますよ。いつも手入れをしているんだから」
「ああ、そう」
白取は気にも止めなかった。彼は
[3]
次へ
[7]
TOP [9]
目次[*]
感想