第3章 三面六臂

(1)

桂樹にとって大型現場の仕事は、見るものすべてが新鮮な驚きだった。施工図を引く者、下請け業者と施工の打ち合わせをする者、検査をする者。すべての担当者が能率よく働いている。その上、現場にはある種の緊張感がただよっていた。
事前に坂井から脇田所長の人物評を聞いていたとはいえ、実物はもっとすごかった。挨拶に行ったとき、鋭い目で見つめられただけで、身の竦む思いがした。
一方、主任の近藤は、ことあるごとに設計スタッフの桂樹を脅したり、からかったりして、それを現場の娯楽としている節があった。中肉中背、ゴムマリのような弾力を感じさせる40男で、年齢以上に老けて見えた。それに、どことなく人を食ったあつかましさがある。しかし坂井の話しによれば、人一倍の子煩悩で、おまけに恐妻家らしい。

「高山、奥行き20メートルのエレベーターは、どこのメーカーで造ってるんだ?」
近藤主任が部屋にやってくるなり、大声で言った。
「奥行き20メートル?」
製図台に向かっていた桂樹は、テーブルの上に設計図を広げて調べた。そこで記入寸法に、ゼロがひとつ多いのに気づいた。
「あれっ、すみません。寸法の記入間違いです」
途端に、近藤が怒鳴った。
「ふざけるな!間違いだとお!現場は全て設計図をもとに動いてるんだ。鉄骨工事もコンクリート工事も設備も、すべてだ。その根本が間違っていたら、どうするんだよ!」
激しい口調のわりには、近藤の表情はのんびりとしていた。
「いいか、こんど間違いを見つけたら、ナニの皮を引ん剥くぞ」
それを聞いて、桂樹はおずおずと言った。
「あのう、主任――」
「なんだっ!」
近藤が噛みつくように言った。
「ぼくは皮かぶりじゃないっす」
近藤はいっしゅん沈黙した。それからニヤリとした。
「おや、坊や、気のきいた口も利けるんだな。おまえのナニは、こんどじっくりと拝見させてもらうぜ」
桂樹は黙り込んだ。これ以上なにか言うと、2倍にも3倍にもなって返ってきそうだったからだ。その日、桂樹は現場に居残って、徹夜で設計図の寸法をチェックした。

次の夜、桂樹は近藤主任に連れられて、主任行きつけの店に行った。小ぢんまりとしたスナックだった。傷が目立つ木製カウンターの奥には、初老のでっぷりと肥ったマスターがひとりいた。いかにも安普請の店だが、アットホームな暖かさも感じさせる。
常連客らしい熟年の男性が数人、酒を飲んでいた。その客たちと顔見知りらしく、近藤は気楽に声をかけていた。
「どうだ、現場の仕事は?」
カウンターに落ち着くと、近藤が桂樹に訊いた。
「はあ、見るものすべてが新鮮で、とても勉強になります」
「さすが、優等生の答弁だな」
近藤はつぶやくように言って、桂樹のコップにビールを注いだ。

しばらく飲んでいると、制帽と制服を身につけた年配の男が店に入ってきた。ズボンのベルトに拳銃らしきケースがあるので、どうやら警官のようだ。男は店のマスターとなにやら話しながら、ときおり桂樹らのほうを見ている。背が低くでっぷりと肥っていて、警官にしては、ちょっと年を喰い過ぎているような気がした。
そのうち、警官は、桂樹たちのほうに向かって声をかけた。
「そこのふたり、ちょっとこちらに来て」
桂樹と近藤が怪訝そうに見ると、警官は腰の銃に片手をかけて、もう一度指示をだした。
「さあ、そこのカウンターの前に並んで」
近藤が椅子から尻をおろしながら、のんびりと言った。
「お巡りさん、いったい何があったんですか?」
「いいから早く並んで。おい、もうひとりの若いの。ボケッとしてないで、早く並ぶっ!」

桂樹たちがカウンターの前に並ぶと、警官はいつでも銃を抜けるように用心しながら二人に近づいた。
「この店には、いつ来た?」
警官の問いに、桂樹より先に近藤が答えた。
「10分ほど前ですが」
「そうか――ところでお前たち、前の通りのトルコ風呂に行ったか?」
今度も近藤が返事をした。
「行ってません。ねえ、お巡りさん、何があったのですか?」
「トルコ風呂で乗り逃げしたやつがいるんだ」
「乗り逃げ?」
「ああ、延長したのに、追加料金を払わないで逃げたらしい」
そこで警官は、キッと桂樹をにらんだ。「お前じゃないだろうな?」
桂樹は仰天した。普通なら、なんでそんなことで警官が動くのだ、と不審に思うところだが、今はとてもそんな余裕など無い。心臓がバクバクしていた。
桂樹はかろうじて声に出した。
「ぼくじゃないですよ」
「そうかな」
警官にしては人の良さそうな目が、桂樹の頭のてっぺんから足のつま先まで、じっくりと見る。そして、一歩近づいて言った。
「いかにもスケベそうな顔つきやないか。おまえ、凶器を隠し持ってないだろうな?」
「そんなもの、隠していませんよ」
桂樹はごくりと唾を呑み込んだ。
「じゃあ、これは
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