(2)
桂樹は、赤坂ビルの設計のかたわら、工事中の大使館宿舎の仕事も掛け持ちでこなした。設計段階では決めていない、こまごまとした仕上げ材料の選定や、塗料の色決めなどのために、ときどき現場まで足を運んだ。
その現場で、堀田正俊と知り合った。堀田は内装会社の社長で、小倉建設の協力業者会の会長をやっている。50代半ば、中背やや小太りで、よく日焼けした実直そうな顔と、腰の低いおっとりとした性格の持ち主だった。
よほどこの社長に気に入られたのか、桂樹は時々、晩飯やゴルフに誘われた。その種の交際に慣れていない桂樹は、最初のうち、接待されることに後ろめたさを覚えていた。
しかし、堀田本人は、商売上の下心があるわけでもなさそうだし、むしろアットホームな付き合いを望んでいるようだった。
そのうち桂樹は、この下請け会社の社長と一緒の席でも、構えずざっくばらんな話が出きるようになっていた。
この日も桂樹は、工事現場でたまたま出会った堀田と、新橋の一杯飲み屋に寄っていた。
「高山さん、こんどの日曜日にゴルフでもどうですか?」
堀田がさっそく桂樹に、誘いをかけてきた。彼は体力維持のために、毎週、自分のメンバーズコースでプレーをしていた。
「こんどの日曜日は、野球の試合があります。残念だなあ、せっかく堀田さんにお誘いされたのに」
「そうですか。じゃあ、その次の日曜日は?」
「今度の試合の結果次第です。勝てばまた翌週、試合があります」
堀田は、にっこりと笑った。
「複雑な心境ですな。あなたには試合に勝っていただきたいし、勝てばあなたとゴルフができない――」
「ひょっとして堀田さん、本音はわたしたちに負けてもらいたいんじゃないですか?」
「バレましたか」
堀田は楽しそうに笑った。それから真顔に戻った。「ところで、うちの小室が、高山さんにご迷惑をおかけしているんじゃないですか?あれはちょっと、一本気のところがありますから」
「迷惑だなんて、そんなことはないですよ。小室さんは元気のよいお年寄りですね。それに、とても頼りになる方です」
桂樹はそう言うと、思いだし笑いをした。
小室というのは、堀田内装の現場監督で、年齢はわかりにくいが、豊かな白髪をした60代の老人だった。150センチそこそこの短躯で、すこぶる元気が良かった。顔付きは温厚そうだが、どことなく人を食ったとぼけた味がある。
老人はいつもずんぐりむっくりした体を精力的に動かして、職人たちにゲキを飛ばしていた。しかもその対象は、部下たちばかりでなく、しばしば設計者の桂樹にも向けられた。
桂樹と小室は、仕上げ材料や色決めで、ときどき意見が食い違って口論した。老人は頑固者で、いったん言い出したら説を曲げなかった。
とうとうある日、業を煮やした桂樹は、口論の途中でいきなり老人の小柄な体を肩にひょいと抱え上げると、外部足場の仮設階段を登りだした。
短い手足をばたつかせて抵抗していた小室は、上に登るにつれ、徐々におとなしくなった。老人の唯一の弱点は、高所恐怖症だったのだ。
桂樹は外部足場の最上部に登ると、老人に下の景色をたっぷりと拝ませたあと、言った。
「いいか、設計者はぼくだ。そして、施工者はあんただ。この違いが分かるか?」
すっかりすくみあがった老人は、桂樹の太ももにしがみついて、必死になってうなずいた。蒼白な顔をして、ガクガクと震えている。老人の指が股間の微妙なところに触れていたが、桂樹はそれを無視して、努めて不気味な声で念を押した。
「こんどぼくに逆らってみろ。東京タワーのてっぺんに連れてってやる」
「――」
老人は恐怖に声も出せない様子だった。桂樹はやりすぎたかなと思ったが、心を鬼にして追求した。
「で、返事は?」
「わ、分かりました――」
老人は蚊の泣くような声で言った。
「もうぼくに逆らわないんだな?」
「はい――」
「ところで手をどかせてくれ。妙なとこ触ってるぞ」
老人は怪訝そうに自分の手元を見て、ハッとした。そして、つぶやいた。
「――大きい」
それ以来、小室は桂樹に対しておとなしくなった。しかしそれも、ひと月の間だけだった。そのうちこの小柄な老人は、この前のでき事などケロッと忘れたかのように、傍若無人な態度を取り戻していた。二人の言い合いも再開された。しかし今度は、最後のぎりぎりのところでスッと退くことを覚えていた。
赤坂の再開発ビルが着工して数ヶ月経ったある日、桂樹は和泉部長の席に呼ばれた。
「きみに、赤坂の工事現場を見てもらいたいんだ」
「現場に――本当にいいのですか?」
桂樹は、一度現場に出させてくれ、と以前から申請していた。実際に建物がどういった手順で造られるのか、また図面でしか描いたことのないディティールが、どうやって施工されるのか、設計していて疑問に思うことがいくつもあった。
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