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おそらく世の中で、大井耕平ほどもてない男も珍しいだろう。
平べったい顔をキャンバスにして、小造りの目や鼻や口が、離れぎみに配置されている。カニの姿を想像すれば、分かりやすいだろう。おまけに短躯で手足は短く、胴体は牛並みに頑丈だ。それに加えて口下手とくれば、友達がなかなかできないのも頷ける。
彼は5人兄弟の末っ子で、いつも下から上を見上げて成長した。それだけに、耕平は人に取り入るために、人並み以上の努力をしてきた。
雨の日には余分に傘を持っていって、傘のない子に貸してやったり、喧嘩に負けて泣いている子には、じっとそばに付き添って、愚痴を聞いてやったり――。彼のきめ細やかな感性は、そんな子供時代に育まれた。
高校生時代、耕平は担任の先生に勧められて、フリースタイルのレスリングを始めた。
筋力をつけるために、バーベルやアレイを使った。2年生になったころには、腹割れして筋肉の浮き出た、見違えるほど逞しい肉体になっていた。
しかし耕平は、2年間で部活をやめることになった。
彼が練習を始めると、どういうわけか、たくさんの見物客が現れた。生徒だけではなく、先生たちも来た。特に校長先生などは、熱心な耕平ファンだった。
まもなく耕平はその理由を知った。べつに耕平が、優秀なスポーツ選手というわけではなかった。身体にぴっちりと張り付いたユニフォームに浮き出た膨らみ――股間に浮き出た性器の形状を見に来ていたのだ。それほど彼の性器は大きかった。頭部はすでに大人の形状、いやそれ以上に立派な形になっていた。
それに気づいた耕平は、ユニフォームを着るのが嫌になって、理由も告げずに退部した。
東北の片田舎から東京の大学に入学した耕平は、隅田川沿いの下町、あけぼの町で、親元を離れた生活を始めた。下宿先は母親の遠縁にあたる人物で、伯父さんというより、お爺さんと呼んだほうが近い年齢の人だった。
大都会の生活は、生活習慣の違いや抜けきらない地方訛りなど、神経を使うことが多かった。それでも耕平は、自分にも唯一、誇れるものがあることを知ったのだ。
学校の悪友に連れられて、生まれて初めて風俗店に行ったときのことだった。
密室で女とふたりきりになったとき、耕平は心臓が破裂するのでは、と思うほどドキドキしていた。
しかし彼が裸になったとき、今度は女が嬌声をあげる番だった。童貞だというのに、彼の逸物はすでに皮が剥けて、ドキッとするほど肉感的なシロモノだった。
それから15分後、密室で女の悲鳴が沸き立った。我を忘れた善がり声だった。そして持ち時間がきたとき、女は息も絶え絶えの体だった。耕平のオトコは、それまで二度精を吐き出して、なお物足らなそうにおっ立っていたのだ。
風俗店の一件があってから、普通なら女狂いに走るのだが、耕平はそうはならなかった。彼には女が不浄なものに思えてならなかった。それは多分に、彼が幼い頃、行商人と駆け落ちした母親への怒りがあった。
異常なほど精力絶倫の彼は、泉のように湧き出る精のはけ口がなくて、毎晩のように自らを慰めた。
その夜もベッドに入って、ひとりふけっていると、何の前触れもなく伯父が部屋に入ってきた。あわてて前を隠す耕平に向かって、伯父は言った。
「だいぶ不自由しているようだね。私が相手をしてあげよう」
あとは男好きの年配者と初心な若者の、よくあるパターンだった。
耕平は、手慣れた伯父の口淫と手淫によって、あっと言う間に噴射した。
ひとまず落ち着くと、こんどは秘密の花園の探索だった。
あられもなく身体を開いた伯父の指示に従って、64歳の男性の身体の隅々を舐め、口に含み、指を使ってほぐした。
そして最後は、ふたたび隆起した若い逸物を、熟した開口部に挿入しようとした。
これには少々時間を要した。亀頭が大きすぎて、第一関門を突破できないのだ。
どうしても身体に収めたかった伯父は、耕平の上にまたがると、必死の思いで尻を開いて腰を落としてきた。
ついにズルッと入った!伯父がくぐもった呻き声をあげた。
大井耕平は大学を卒業すると、墨田区の区役所に就職した。これで彼の将来は決まった。生まれ故郷の東北を離れて、東京を第二の故郷にするのだ。
下宿の伯父には、男色のイロハをすべて教わった。伯父にお尻を向けて、ウケの感触も味わった。
もともと彼はサービス精神旺盛で、伯父が喜ぶことなら何でもやった。
そして伯父と交流することで、自分の本質をはっきりと知った。自分は年配の男の人、それもお爺ちゃんが大好きだということを。
しかし耕平は、発展家ではなかった。伯父ひとりで十分だった。
伯父がだんだん年取ってきて、夜の交わりも滞りがちになっても、耕平はそれで満足していた。伯父の足腰が弱くなって、ひとりで風呂に入れなくなると、その身体を抱えてやって面倒を見た。
彼
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