(4)

(4)

サクラの蕾が膨らんできた。数日すれば開花するだろう。
春はすぐそこまで来ていた。
日曜日、ティムはケンさんと連れたって、東京スカイツリーに来ていた。あいにくの薄曇りで、展望台からの眺めはすっきりしなかった。
展望台から降りて一階のソラマチ広場のところで、派手な緑の服を着た老人を見かけた。それが知人のヘンリーだと気づいて、ふたりはびっくりした。
老人は身体の前に大きなボードを持っている。『81歳と8か月。今のところゲイ』と英語で書かれている。そして背後の壁には、『パートナー募集中』という趣旨のポスターが、貼られている。

これは何かの冗談かと思いつつ、健一は老人に声をかけた。
「やあ、ヘンリー。今日はデイビッドの姿が見当たらないね」
老人は笑顔を見せたが、デイビッドの名前を聞くと、顔をしかめた。
「彼の名前は出さないでくれ。現在、絶交中だ」
ヘンリーとデイビッドは、アメリカ人のゲイカップルだ。日本に住みついて15年以上になる。現在81歳と75歳、ふたりはあけぼの町に骨を埋める、と常々言っている。いつもは仲良くふたり連れで行動していたので、喧嘩をするなんて珍しかった。
「ふーん、原因は何なの?」と健一は訊いた。
「あの頑固者が、寿司のほうが断然良いって、言い張るんだ」
「ハイ?」
健一とティムは顔を見合わせた。
「寿司が良いって、何の話だい?」
健一が改めて聞き直した。
「だから、デイビッドの誕生日祝いだ。私がビーフステーキを奢ってやるって言ったら、あいつ、魚のほうがヘルシーだ。寿司にしようって言うんだ」
「――」
普通、祝う相手の意見を尊重するな、と思ったが、それを言うとお年寄りがへそを曲げそうだったので、コメントしなかった。
ティムが確認するように訊いた。
「それで新しいパートナーを募集しているわけ?」
「そういうこと」
老人は大真面目で答えた。
(たかが食い物のことで、そこまでやるかなあ)健一はあほらしくなって、言った。
「で、新しいパートナーは見つかりそうかい?」
「まだだ。ケンイチがパートナーなら申し分ないけど」
ヘンリーはのうのうと言って、ティムの方をチラリと見た。「しかしケンイチにはもうパートナーがいるんだな」

54歳のティムが顔を赤らめた。彼は以前、ヘンリーが肺炎で入院しているとき見舞いに行って、老人の誘惑に負けてフェラチオしてやったことがある。あのときの舌触り、味、喉を圧迫するボリューム感――いまでも思い出す。
いっぽう健一は、頬を赤らめたティムを見て、単なる純情さからだと思っていた。それよりも別の問題――いつヘンリーが、健一とセックスしたことを持ち出さないか、と気が気ではなかった。彼はこれまで何度か、老人の誘いに乗っていた。もちろん、老人のパートナーの目を盗んでだが。
そこで早々に退散することにした。
「じゃあね、ヘンリー。頑張って――」

ふたりは隅田川に向かって歩いて、言問橋を渡った。振り返ると、東京スカイツリーの全景がきれいに見えた。ここ花川戸はスカイツリーを川向うに臨む、絶景ポイントだった。
ふたりは隅田川に沿って、吾妻橋方面に向けて、助六夢通りを歩いた。
この通りは歌舞伎の助六、揚巻に因んで、この小路を歩いてスカイツリーに昇れば恋愛が成就する、などと言われて若いカップルのデートスポットになっている。
ティムはケンさんとふたり連れで歩きながら、この謂れを意識していた。
途中に外人観光客向けの案内所があって、そこにふたりは立ち寄った。
ここは先ほどのヘンリーのパートナー、デイビッドが働いているところだ。中に入ると、ちょうど観光客の対応が済んだデイビッドが、こちらを見た。

「やあ、デイビッド、先ほどスカイツリーの広場でヘンリーに会ったよ」
デイビッドはのんびりと応じた。
「ハイ、ケンイチ、ティム。で、グランパはプラカードを掲げてたかい?」
「ああ、派手な格好で立ってた。パートナー求むってね」
デイビッドはちょっと肩をすくめて、何事もなかったように黙っていた。
「心配じゃないのかい。ヘンリーが不良外人に連れていかれて、痛い目にあったらどうするんだい?」
健一が訊くと、デイビッドは面倒くさそうに答えた。
「大丈夫。あれでグランパは、男を見る目があるんだ。それに辛抱がきかないから、今頃はもう家に帰っていると思うよ」



吾妻橋に近づいたところで、健一が手を挙げた。
橋のたもとに、ふたりの若い男女がいた。背が高く、好感の持てる顔をしていた。ティムは事前に聞いていたので、そのふたりがケンさんの子供たちだということに気づいた。
どうやらケンさんは、女房と別れた後も、子供たちとは定期的に会っているようだ。今日も昼飯を一緒に食べる、と聞いている。
「じゃあな。6時までには店に行く」
そう言って立ち去るケンさ
[3]次へ
[7]TOP [9]目次
[*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b