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槌谷則平(つちやのりへい)は、女運のない男だとみられている。
30歳の時、8つ年下の女と結婚したが、ひとり娘を産んだあとすぐに病死した。
2番目の妻には1年と経たずに逃げられた。3番目の妻はすこし長続きしたが、それでも5年と持たなかった。
則平を知る人間は、運の悪さより、彼の風貌から想像することのせいにした。
丸く剥げ上がったおでこに赤ら顔。大きなナスビ鼻と分厚い唇。眼は細くて、眠っているのか起きているのか分からない。背は低く、どちらかといえば筋肉質の体型である。
そんな風采をしているので、人からもっともらしいことを言われる。
「槌谷は相当の好き者だよ。だから逆に、女と縁が無いのさ」
つまり――最初の女房は、夜毎の房事が過ぎてハメ殺した。2番目と3番目の女房は、求めが激しすぎて、嫌になって逃げだした――と言うのだ。
しかし、事実は違っていた。
則平には、ひそかに隠していることがあった。彼が精力絶倫であるのは確かだが、興味があるのは年配の男性だった。
最初の妻が死んだあと、2番目3番目の妻を迎えたのは、幼い一人娘の乳母替わりが目的だった。結局その役割は、老いた母親が引き受けたのだが。
則平の性癖は生い立ちからきている。
両親は早くに離婚して、則平は父親の温もりを知らずに育った。そのことが、彼の性格を微妙に歪めた。同じ年頃のいじめっ子に対する反発と、父親の年代の男性に対する憧憬の念である。
大きな体をした力持ちの男にあこがれだしたのは、7歳の時、祖父に連れられて、スーパーマンの映画を見たときからだ。以来、自分自身がそうなるのを夢見てきた。祖父の勧めで小学生の時から、合気道の道場にも通った。
しかし、彼の体はいつまでたっても、小さい部類だった。
それでも、学校のクラス仲間に一目置かれていた。体は小さいが、合気道をやっているお蔭で体育は何でもこなした。しかも頭は抜群に良く、いつもトップの成績だった。
思春期をむかえた頃、人並みに体のあちこちに毛が生えたが、相変わらず小柄だった。
彼は負けん気が強かったので、ときどき体の大きな男子生徒と衝突した。しかし、中途半端な合気道ではとうてい通用せず、いつもボッコボコにやられて泣きを見た。
そんなことの繰り返しで、彼の性格はねじ曲がってきた。人が右と言えば、左と言う。自分が間違っていると分かっていてもだ。
彼が「偏屈のりべー」と言われだしたのは、この頃からである。
則平が年配の男性に対して明確な恋情を抱いたのは、大学入試のため、高校3年の1年間だけ学習塾に通ったときだった。
その塾に、畑(はた)という名前の国語教師がいた。年の頃70歳くらい、血色の好い穏やかな顔と、物事に拘泥しないおおらかな性格をしていた。彼のでっぷりと太った体と大きな尻は、見ていて微笑みを誘う愛嬌があった。
則平はこの先生の授業が楽しみだった。授業の内容よりも、先生のふくよかな姿に見とれた。肉付きの良い幅広の顔にくらべ、目鼻立ちは小作りで、ピンク色の艶やかな唇が可愛らしかった。先生が黒板に筆記するとき、ふっくらとした指の付け根にできる淡い窪み、ズボンの布地を張り詰めた豊満な臀部のふくらみ――それらひとつひとつが、学習机から食い入るように見る、則平の生殖細胞を刺激した。
塾の夏季合宿のときだった。
塾生と数人の教師たちが参加して、那須塩原の温泉地に行った。その中に、則平と畑先生も加わっていた。
勉強の合間にハイキングやバーベキューを楽しんだ。すべてが解放感に溢れていた。偏屈な則平でさえ、無邪気に大自然の生活を満喫していた。
渓流沿いの露天風呂は野趣あふれるところだった。白日のもと、湯は透明感に溢れ、すべてが明確過ぎるほどくっきりとしていた。
塾生たちと一緒に露天風呂に入ろうとする、畑先生の裸体を目にしたとき、則平は息も止まるほどの衝撃を受けた。
まろやかな柔らか味をおびた乳白色の肉体――先生が小腰を屈めたとき、豊満な尻があらわに見えた。染みひとつない白い双丘、淡いピンクに色づいた谷間、軟らかく口を閉ざした菊座――。
それらは強烈な印象として、則平の脳裏に刻み込まれた。
社会人になって、地元市役所で働きだしてからの則平は、あまり恵まれた境遇とは言えなかった。
その原因の大半は彼自身にあった。頭脳は優れているのに偏屈な性格が災いした。役所では、知識の深さより世渡りのうまさが重宝されるのだ。
そんなわけで、彼はひとところの部署に落ち着くこともなく、あちこちの部署をたらい回しされた。
しかし偏屈は偏屈なりに、その能力を買う人間もいた。則平が最後に配属された総務部の部長、中野和善はそんな人間の一人だった。
中野は則平より5つ年上だが、歳の差以上に貫禄があった。でっぷりと肥っており、非常に温厚な男だった。
その部長のもと
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