(あとがき)
奈良時代を背景に、男同士のロマンと冒険をテーマにした小説を書きたいという思いは、ずっと持っていました。しかしなにぶんにも、この時代の知識不足で、ストーリーが思い浮かびません。
そこでふと古事記をネタに使ったらどうだろう、と思いつきました。古事記の内容と、古事記の作成者と言われている人物を絡ませて、話を創るのです。
そのために古事記を読み直し、古事記の書かれた時代を調べてみました。図書館で関係する本を読んだり、ネットで調べたり、70過ぎ爺の手習いです。
――臣安萬侶に詔(ミコトノリ)していわく、稗田阿礼誦する所の勅語旧辞を撰録し、以て献上せよ――
古事記の序に記されている、元明天皇が711年、太安万侶に命令するくだりです。
この太安万侶と稗田阿礼については、謎が多くほとんど分かっていません。
1979年に平城京の東の山中から、太安万侶の墓が見つかり、その墓誌から723年没、最高官位は従四位下、民部省の長官にまでなったことが分かりました。
一方の稗田阿礼については、安万呂の書いた古事記の序にあるだけです。
「帝の舎人で、このとき28歳。生まれつき聡明で、どんな文章でもひと目だけで暗誦することができ、一度聞いただけで記憶することができた。そこで帝の命により、帝紀と旧辞の誦習につとめた」とあります。
ここでいう帝とは天武天皇のことで、稗田阿礼に史書の誦習を命じたのは681年頃でした。そこから計算すれば、稗田阿礼(654年〜?年)太安万侶(?年〜723年)と推定できます。
出典は分かりませんが、二十歳前後の童顔の稗田阿礼と壮年の太安万侶を舎人親王が見ている、という構図の絵を見かけたことがあります。また、稗田阿礼は名前からして女性ではないか、という説もあります。
にわか勉強で、調べれば調べるほど、いろんな矛盾が出てきました。
そこでエイヤッと、大胆な設定をしました。
まず、古事記の編纂を最初にやり始めたのは、稗田阿礼と多品治としたのです。そして後半に、太安万侶が多品治のあとを引き継ぐという形にしました。
多品治は壬申の乱のとき功績のあった人物で、天武天皇の信厚く、また後世では太安万侶の父親という位置づけの系図も出てきました。「多」と「太」、漢字の違いはありますが、どちらも「おおの」と読まれています。
そして年齢設定は、天武天皇の命令により古事記編纂のスタートとなった681年時点で、多品治43歳、稗田阿礼28歳、太安万侶23歳としました。そうすれば、(稗田阿礼の没年は不明)多品治58歳没、太安万侶65歳没となり、当時としてはかなり長命ですが、考えられないことでもないと思いました。
そういうわけで、稗田阿礼は、多品治と太安万侶の親子ふたりに可愛がられた、というお話にした次第です。 作者
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