(1)

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ひっそりと静まり返った病室で、今井京子はじっと夫の顔を見守っていた。夫の顔は不気味なほど色を失って、灰色がかっている。持病の心臓発作を起こして救急病院に運びこまれたときは、もう駄目かと思った。それでも、今は小康状態を取り戻している。
しかし、いつまた危険な状態に陥らないとも限らない。
そのとき、夫の瞼がうごめき、目を開けるのに気がついた。
「あなた、目を覚まされました?」
京子はそっと声をかけた。
今井良尚は横を向こうとして、眉をひそめ、上を向いたまま声を出した。
「ああ――薫を呼んでくれ」
しわがれた声だった。
「薫さん?神山薫さんですか?」京子は聞き返した。
「そうだ――今すぐ、呼んでくれ」
「分かりました。すぐ連れてまいります」
(どうして薫さんなんだろう?)
京子は疑問に思いながらも、待合室に急いだ。人でごった返していた待合室は、今は近親者たちだけで、ひっそりとしていた。神山薫は部屋の隅で、榊原剛となにやら話をしていた。京子は薫にそっと合図を送った。

「薫――これからわしの言うことを、まじめに聞いてくれ」
「お父さん。私はいつもまじめですよ」
「無駄口をたたくな。時間がない」
そこで良尚はせき込んだ。「――いいか、わしが死んだら、会社に黒い手が伸びる」
薫は老人の言葉に驚いた。
「なにを言うんです。お父さんは、まだまだ長生きしますよ。ほら、憎まれっ子、世にはばかると言うでしょうが」
良尚がかすかに手を挙げようとした。
「無駄口をたたくなと言っただろうが。――彼らは平和銀行を利用して、アスカビルを狙う。ひょっとしたら、メディア21も」
(このじいさん、何を言ってるんだ?)
薫は訝ったが、黙って老人の言葉を待った。
「いいか、貝山博に気をつけろ。それから、榎本辰男の動きにも――」
「貝山博って、大臣をやったことのある、国会議員ですか?」
良尚が目をしばたいて、うなずいた。
「榎本辰男というのは、なに者ですか?」
「総会屋だ。企業を食い物にしているハイエナだ」
「その二人が、どうしてこちらの会社を狙うんですか?」
「死肉にたかるハイエナのようなやつらだ。いいか、彼らの動きに注意しろ――」
良尚は疲れたように、息を吐いた。「薫、あとを頼むぞ。それから、剛と協力してやっていくんだ。あれは、頼りになる――」
そこで良尚は、もう行け、と言うように手を振ると、目を閉じた。
薫は老人の顔を黙って見ていたが、そっと立ち上がって部屋を出ていった。

京子は部屋の隅で、二人の会話をじっと聞いていた。夫は神山薫に信頼を寄せて、後を託したのだ。彼女は不思議に思った。彼女の耳に入る神山薫の風聞は、いずれも常軌を逸した行動ばかりだった。
(なぜ自分ではなく、義理の息子なんだ?それに、神山一郎の私生児、榊原剛なんだ?自分が女だから?)
彼女は、嫉妬に近い感情を覚えていた。そのとき、夫の声がした。
「京子――いるのか?」
彼女は物思いからさめて、ベッドのそばに近寄った。
「ええ、あなた」
良尚は苦しそうに顔をゆがめた。
「おまえには――世話になったな」
「何をおっしゃいます。あなた、弱気を出しちゃ駄目ですよ」
「ああ――おまえは強い女だ。あとを頼むぞ」
「いやですわ。あなたには、まだまだ長生きしていただかないと」
そこでふと京子は、先ほどの会話を思い出した。「それに――薫さんがおりますわ」
「ああ――あれは若いが、胆力のある男だ。あれならメディア21も任せられる」
夫の言葉に、京子はハッとした。では夫は、薫をメディア21の後継者にしようと決めているのだ。彼女はあえて確認した。
「薫さんを社長にするお積もりですか?」
「ああ、あれなら大丈夫だ――そろそろ――」
ふいに良尚は息を吸って、ゆっくりと吐き出した。それが彼の75年間の最後の呼吸となった。

その夜、今井京子は、自室に顧問弁護士の高村を呼び寄せた。
高村は色の白い、中背やや小太りぎみの男だった。年の頃は50代前半、大きく後退したおでこと銀縁めがねの彼は、几帳面で小心者の風貌をしていた。
彼は得意先の奥さまと、二人きりでいることを意識していた。部屋の中は、間接照明の淡い光に包まれて、大きなベッドがいやでも目に飛び込んでくる。そしていま、目の前には、高嶺の花のご婦人がいた。彼が密かにあこがれを抱いている女性だった。真紅のガウンをゆったりと着て、その体からは、高価な香水がかすかに漂っていた。
「夫の遺言状をもってきましたか?」
「ええ。でも、お電話でお話しましたように、今夜は封を開けることができません」
高村はまぶしそうに婦人を見て、うわずった声で言った。
「そう――いつ封を開けることができます?」
「亡くなられたご主人さまのご葬儀のあとに。親族の皆さまが集まられた前で――」
「私は遺言状の
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