(6)
翌日、一平は小宮山と二人で、喜多商事に出向いていた。小宮山はますます白っぽいイメージが強まって、目許が疲れていた。昨夜はかなり遅くまで、榊原課長と打ち合わせしたようだ。かすかに片足を引きずっているのも気になった。
「小宮山さん、昨晩はだいぶ遅かったみたいですね?」
一平は小宮山に聞いた。
小宮山は彼の質問に、少しうろたえたようすだった。
「――べつに――どうしてだ?」
「だってすごく疲れているみたいだから。それにちょっと、足を引きずっていますよ」
「大丈夫だ――ちょっと転んだのだ」
小宮山は、言葉少なに先を歩いた。そのあとについて行きながら、一平はいやな予感がした。いよいよ喜多会長と、最後の詰めの商談をしなければならないのに、榊原が一緒ではないのだ。
喜多会長の部屋の前に立ったとき、一平は極度の緊張から武者震いした。
会長はムスッとした顔つきで、二人を出迎え、無駄口ひとつ叩かずに、ソファーにどっかりと腰掛けた。そのこと自体が、きょうの商談が難行することを予感させた。
「御社のオリジナルフィルムのデザインと、納品見積書を持って参りました。よろしくご検討ください」
小宮山は書類を喜多会長に手渡した。その手がかすかに震えている。
喜多会長は書類を受け取ると、眼鏡をかけ、じっくりと目を通しだした。その間、二人は固唾を呑んで、ソファーの上で固まっていた。会長はたっぷりと時間をかけて書類に目を通し、それからおもむろに言った。
「デザインはまあまあやが、ずいぶん虫のいい見積りやな」
「えっ――」
二人は怪訝そうに会長の顔を見た。
「千個単位の値段しか出していないということは、納入単位も千個やと言うことだな」
「なにしろオリジナル製品ですから、まとまった数量が出ないと――あの、その代わり、お値段のほうも、これまでより10パーセント引きにさせていただいております」
小宮山は揉み手をしながら言った。
会長は、フンと鼻を鳴らして、ふんぞりかえった。
「値段のほうは評価する。なにせ、あんたとこにしては珍しく、奮発した値やからな」
「ありがとうございます。私どもとしましても、精一杯の勉強をさせていただきました」
「礼を言うのは早い。まだ、数量の問題が残っとるがな」
「でも御社の扱い商品をうち一本に絞っていただいたら、千個なんて、すぐ捌けると思いますが」
(なかなかいい調子だ)
小宮山のやりとりを横で聞いていて、一平は思った。
「あんた、うちを買いかぶったらあきませんわ」
会長はわざとらしく笑った。「わしらみたいな日銭でメシを食っている零細企業は、明日なにが起こるか分からんのや」
小宮山は大げさに驚きを表わした。
「とんでもございません。関東一円にチェーン店を持つ喜多商事さんが零細企業だなんて、ご冗談でしょう」
その言葉を聞いて、喜多会長は身を乗り出すと、小宮山の顔を鋭くねめつけた。声が1オクターブ低くなった。
「おや、あんたは、わしが冗談を言ってると思っているのか――こんな大事な商談のときに」
「いえ、そんなつもりでは――」
小宮山はあわてた。
「じゃあどんなつもりだ?」
「――」
小宮山は返答に窮した。
一平は横で聞いていて、老人の巧妙な作戦に気がついた。相手のささいなミスを針小棒大に突いて、有利に商談を進めていこうとする腹だ。
「5百個単位、15パーセント引きで手を打とう」
喜多会長がふんぞり返って言った。
「そんな無茶な!」
小宮山の声は悲鳴に近かった。彼は汗を浮かべ、震え声でつづけた。「千個、10パーセント引き、というのは駆け引きなしの条件です。お願いします。――でないと私は榊原に」
「榊原さんになんだね?」
「ひどい目にあわされます――」
小宮山は、蚊の鳴くような声で言った。
「ちょい待ち!」
会長の声は、のんびりとした調子に戻っていた。「あんた、わしとの商談に、あんたとこの内輪揉めを持ちだしてんのか?」
「――」
「しかし、榊原さんも、男らしゅうないな。自分が出て正々堂々と勝負せんで、うまくいかなければ部下いじめとは――」
「いえ、榊原は今日、急用ができまして――」
「かばわんかてええ!」
会長が一喝した。「だいたい、あの子ダヌキの魂胆は分かってるんや。あんたらを脅しておいて、わしの同情を引こうってわけや。それにあんたらもこの前見たやろ、チンピラのようにわしを恐喝しおって――」
「――」
「――ところで、あの写真は女房に渡してないだろうな?」
会長がいくぶん心配そうに聞いた。
「それはもちろん――渡していないと思います」
小宮山が返答した。
「そうか――」
会長の顔が安心したようにほころんだ。それも束の間、彼は事務的に言った。
「ま、あいつは駆け引きに、最初は倍の条件を出しよるから、5百個、20パーセント引きがいいとこやな。
[3]
次へ
[7]
TOP [9]
目次[*]
感想