(2)
徳永一平が職場に配属されて三日目のこと。その日は朝から、課内の雰囲気がなんとなく違っていた。
一平が元気よく朝の挨拶をすると、小宮山が目を通していた書類から顔を上げて、小さくうなずいた。昨日までは、椅子にふんぞり返って新聞を読んでいたのが、今日は朝から仕事をしているだ。
向かいに座る近藤も、生真面目な顔をして、書類に目を通している。
上司たちの緊張した素振りを見て、一平は不審に思った。彼は自分の席につくと、一日のスケジュールを確認した。今日は初めて小宮山と一緒に、得意先回りをすることになっていた。
一平は上司に声を掛けた。
「小宮山さん、今日は何時に出かけますか?」
小宮山はビクッとして顔を上げ、何のことだと言うように一平の顔を見た。まるでその表情は、心ここにあらずといった様子だ。
小宮山は小声で言った。
「ちょっと待ってくれ。今日は、ほかの予定が入るかも知れないから」
言った後、そっと部長席のほうを盗み見た。
それにつられて一平は、大石部長のほうを見た。
部屋に入ったとき気づいていたが、ひとりの男が、大きな声で大石部長と話をしていた。年の頃は三十代前半だろうか、スポーツ選手のように立派な体格、そして映画俳優のようにハンサムな男だった。
その男は、部長席の横の椅子にふんぞり返っていた。大石部長は、眉をひそめつつ、じっと我慢してその男の話を聞いていた。
一平は上司たちを見て気がついた。小宮山も近藤も書類に目を向けているが、彼らの意識は、部長席の会話に全神経を集中しているらしい。
実際、男のよく通る声は、一平たちの席まで聞こえていた。それに部長の話し声――こちらのほうは、多少不機嫌そうだった。
「――あそこまで欲の皮の突っ張った爺さんは、国宝もんですよ。取り引きを続けたかったら20パーセント負けてくれなんて、のうのうと言いやがる。まったく、業突く張りを絵に描いたような爺さんだ」
「おいおい、お得意さんに向かって、そんなことを言っていいのか?なんだったら、私が藤田社長をお連れして、もう一度行ってこようか」
「無駄なことです。うちの社長とあの爺さんじゃ、役者の格が違う。社長が爺さんに丸め込まれるのは、目にみえていますよ」
「でも、うちの社長は、斎田さんの遠縁だぞ」
「そんなの、あの爺さんにとっては何の関係もないことです。なんせ商売のためなら、自分の子供までも売り飛ばすような爺さんですぜ」
一平は席まで聞こえてくる二人の会話を聞きながら、内心驚いていた。この会社に入って知った上司たちは、皆一様に洗練されて、紳士的な人たちばかりだった。ところが、大石部長と話をしている人物は、見掛けこそ洗練された服装をしているが、話す内容はまるでアウトローだった。それに、大石部長を前にしての話し振りも、上司に対する敬意は全く感じられない。
一平が二人の方を眺めていると、大石部長が彼に気づいて手招きした。
「おい、徳永くん、ちょっと来てくれ」
一平が恐るおそる部長席に歩み寄ると、彼を横の男に紹介した。
「こんどきみの課にきた、新人の徳永くんだ。徳永くん、きみの上司の榊原課長だ」
榊原という名前を聞いて、一平はにわかに緊張した。
(この人が噂の型破り課長さんか。それにしても若いな)
一平は姿勢を正すと、丁寧に挨拶した。
「今度、三課に配属されました徳永です。よろしくお願いします!」
榊原は、一平を見て軽くうなずくと、部長のほうに向き直った。
「とにかくあのタヌキジジイをやっつけるには、何かギャフンと言わせるような作戦を考えないと駄目です。大石さん、なにかいい考えはないですか?」
「いい考えって言われてもなあ――」
大石部長は、憮然として腕を組んだ。「きみが分からんことを、私が思いつく訳がない」
「そうですか。とにかく、じいさんには来週、また会いに行きますよ」
「来週?すこし冷却期間を置いた方がいいんじゃないか?」
「鉄は熱いうちに打て、ですよ」
ふたたび話をしだした二人の横で、一平はポケッとして突っ立っていた。
それに気づいて、大石部長が言った。
「きみはもう席に戻っていいぞ」
部長席から戻ってきた榊原課長は、机の上に積まれた書類の山を手際良くチェックしながら、誰ともなく話しかけた。
「サンシャインのヤツ、今日は珍しくおとなしかったな。プーさん、部長は何かいいことでもあったのか?」
声を掛けられた小宮山が、機嫌のいい榊原にあわせて、のんびりと返事をした。
「いえ、とくに思い当たることもありませんが――」
「そうか――ま、陽気もよくなってきたし、サンシャインだって、そういつも苦虫を噛み潰してばかりもいないか」
榊原はしゃべりながら、机の上に積まれた書類に印鑑を押しだした。彼はひとときもじっとしていなかった。手を動かし、口を動かし、彼のいなかった
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