(1)

(1)

入社式を前に、徳永一平は極度の緊張状態にあった。
始まりは、新幹線のぞみが東京駅に近づくにつれ、胸の動悸が速まってきたことだった。東京には昨年の採用試験のときに訪れたことがある。しかし、これから親許を離れて、大都会の中で暮らすのだという思いが、一平をいつもより神経質にし、また不安な気持ちにさせていた。
鉄とガラスで構成された超高層ビルの下に立ったとき、改めてその巨大さに圧倒された。緑豊かな敷地の入り口には『メディア21』と銘の入ったステンレスの標が、どっしりと構えている。
そして同期の新入社員たちと出会ったとき、彼の自信は完全に喪失していた。同期生たちは皆、明るく社交的で、初対面だというのに誰とでも気楽に会話を交わしていた。しかも彼らの話しぶりたるや、自信に溢れて堂々としている。一平は彼らと一緒にいると、まるで大人たちの中に紛れ込んだ子供のように、自分を感じていた。
決定的だったのは、前日、人事部長から話があって、新人代表として答辞をやれと言われたときだった。どういう理由で選ばれたかは知らない。とにかく彼は、居並ぶ百人近くの新人たちの代表として、スピーチをしなければならなくなったのだ。
 
その入社式が始まった。
姿勢を正して社長の訓辞を聞く、大勢の新入社員たちの最前列に一平はいた。式場の前面には、年配の重役たちがズラリと並んでいる。
一平は社長の話に意識を集中しようとしたが、自分のスピーチのことを思うと、気もそぞろだった。人事部長は、「なーに、気楽にやればいい。新入社員の心意気を元気よく話すんだ」と言ってくれたが、一平はとてもそんな気楽な気分になれなかった。
白髪小柄な藤田社長は、ゆったりとした口調で、これからの会社を引っ張っていくのはきみたちだ、諸君には大いに期待している、というようなことを話していた。
それを右から左に聞き流しながら、一平は昨夜考えたスピーチの内容を、頭の中で何度も反芻していた。

そしていよいよ、一平のスピーチの番がきた。
彼は地に足がつかぬ思いで前に進み出た。壇上の社長に向かい合って立ったとき、極度の緊張に、彼の頭の中は一瞬、真っ白になった。昨夜からあれだけ考えていた、出だしの言葉が浮かばなかった。
シーンと静まり返った会場の中で、彼は焦った。焦れば焦るほど、思い出せなかった。
そのとき、藤田社長が、一平を励ますように微笑んだ。
一平にとっては雲上人のような社長が、暖かい人間味を出して、父親のように優しく微笑みかけたのだ。それを見て、急に落ち着きを取り戻した。
彼は堂々とした声で、スピーチを始めた。内容そのものは簡潔なものだったが、彼はこれから社会に巣立つ自分の気持ちを素直に話した。
スピーチが終わったとき、前に居並ぶ重役たちが拍手をしてくれた。しかし、一平は気分が冴えなかった。出だしのつまずきを気にしていたのだ。それでも入社式のあとで人事部長が、「なかなか良かったぞ、重役の方々が拍手をしてくださったのは珍しいことだ」と言ってくれたときは、少し気分が晴れた。

次の日から、2週間の研修が始まった。
新人研修は、郊外にある研修施設に泊まり込みで行なわれた。スケジュールはぎっしりと詰まっていた。会社の事業内容から社員の服務規定まで、覚えることはたくさんあった。それらを頭の中に詰め込むことは、一平にとって、さほどの苦労は要しなかった。
苦痛だったのは、グループ毎に別れてのディスカッションの時間だった。もともと口数の少ない彼は、話題豊富な同期生たちについていくのに必死だった。
二週間の研修期間は、あっという間に過ぎた。研修の最後の日に、各人の職場への配属が発表された。一平は営業本部勤務となっていた。

一平は人事課長に連れられて、同じ職場に配属された30人の新人たちといっしょに、新しい職場に出向いた。
まず彼らは営業本部の会議室に集められ、担当常務のおっとりとした訓示を聞いた。今井常務は、いつもニコニコと微笑んでいるような、上品で穏やかな紳士だった。聞くところによれば、常務はこの会社の創始者一族だという。いかにも温厚そうな重役の顔を見て、一平は少し安心した。
そのあと新人たちは、それぞれ5つの部署に配属された。一平は第五営業部に行く5人の中に入っていた。第五営業部長の大石は、50代半ば、禿げあがったおでこと赤ら顔、肉付きのよい体つきをした、すこぶる元気のよい男だった。
大石部長とじかに会うのは初めてだったが、仕事熱心、せっかち、瞬間湯沸し器――彼については、研修期間中にそんな風評を聞いていた。

大石部長はてきぱきとした口調で、担当課長と配属された新人を引き合わせた。一課二課とすんで、一平はまだ名前を呼ばれていなかった。
最後に一平の番がきた。
「徳永くん、きみは三課だ」
そこで部長は、ちょっと後ろ
[3]次へ
[7]TOP [9]目次
[*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b