(3)
「――と言うわけで、芝大門のほうは平河町の様子を見て、着工しようと思っています」
伊室洋平は、神山社長に新ビルの計画を説明していた。
一方、神山薫のほうは説明を聞きながら、心ここにあらずといった様子で、ため息を吐いたり、鼻毛を抜いたりしている。
社長のだらけた態度に、伊室は辛抱強く説明を続けていたが、相手が指の爪を切りだすにおよんで、ついに堪忍袋の緒が切れた。
「あの、社長。私の話を聞いているんですか?なんでしたら説明は、また後日ということにしましょうか?」
伊室が口もとを震わせて言うと、神山がのんびりと答えた。
「続けてくれ。早いうちに聞いておきたいからな」
「早いうちに聞いておきたいって、社長は本当に私の話を聞いているんですか?先ほどからえらく退屈そうですけど」
神山は爪を切りながら、あくびまじりに言った。
「テナントニーズも建築計画も、平河町のほうの条件が良い。それで平河町のビルを先に建てて、その結果で芝大門の計画を見直す。そこまでいったんじゃなかったっけ」
伊室はぽかんとして、二の句が告げなかった。
「甘い、甘い」
神山社長は、舌打ちしながら言った。「日本人は平和ボケしてると聞いてはいたが、これほどひどいとは思わなかったな」
彼は体を前に乗り出して、続けた。
「いいか、お前たちは切り捨てられたんだ。リストラ組なんだよ。会社にボケっとおるだけで、給料だけは人並み以上にぶんどる年寄りを、誰が必要とするか?」
朝の打ち合わせの席だった。
例によって神山社長が、藤沢常務の言葉尻をとらえて、辛辣に言っていた。それを聞いている3人の重役たちは、憮然とした表情をしている。
社長の嫌味がつづいた。
「その意味じゃあ、この会社も、お前たちを拾ってやるために作ったようなもんだ。ま、そんなわけだから、きみたちもこの会社に骨を埋めるつもりで頑張りたまえ」
そこまで言われて、藤沢は腹に据えかねてきた。彼はおもむろに口を開いた。
「社長の言われてることは、私が聞いていた噂とはずいぶん違いますな」
「ほう、どんな噂だ?」
社長の質問に、藤沢はのんびりと答えた。
「たしか新会社を作ったのは、アッパラパッの孫をよろしく頼むという遺言を残された、どこかのお方のためだという噂でしたが」
神山はちっとも動じず、まじまじと藤沢の顔を見つめた。あまり見つめられるので、藤沢が居心地悪そうにもじもじした。
「それで――」
神山はゆっくりと聞いた。「その噂はだれから聞いたんだ?」
部屋の隅にいた宮内が、体を小さくした。それを横目に、藤沢が澄まして答えた。
「さあ、誰からでしたかな?どうも歳を取ってくると、記憶力が悪くなりまして――」
「あっ、そう。ボケが始まったってわけね」
神山はあっさりと引き下がった。彼は立ち上がると、部屋を出て行こうとした。ふとドアのところで立ち止まって、藤沢に聞いた。
「ところで、そのアッパラパッの孫って、誰のことなんだい?」
そこで藤沢がなにか言う前に、自分から言った。「分かった、分かった。それも記憶にないんだったな」
そう言って、社長は部屋を出て行った。
神山の姿が消えると、残された者たちの間に、ホッとした雰囲気が広がった。
伊室が、賞賛のまなざしで藤沢を見ながら言った。
「久しぶりにスカッとしましたよ。それにしても常務、よく言われましたね。アッパラパッの孫だなんて――」
一番ホッとしたのは、情報を流した当の本人だった。しかし次の瞬間、宮内の気持は天国から地獄に突き落とされていた。
「ところで宮内、あとでぼくの部屋に来てくれるか。おまえに聞きたいことがあるんだ」
いつのまに戻ったのか、神山がドアのところにいた。
「なんだこの計画は?老人クラブのコンペをやっているんじゃないんだぞ。もっと斬新なのを考えろ」
社長が辛辣に言った。
新規ビル計画の会議の席だった。
「老人クラブのコンペってなんですか?」
子供のようにむくれて、伊室が聞いた。
「老いぼれが考えた計画だってことだ。これじゃあ、戦後の貧しいサラリーマンの働くオフィスじゃないか。窮屈でしょうがないだろ」
伊室は食い下がった。
「どこが窮屈なんでしょうか?」
「各階にリフレッシュ・コーナーくらいあってもいいだろうが。それに一階の玄関ロビーも窮屈でしかたがない。こんな広い店舗はいらん。縮めて、ロビーを広くしろ」
「でもこの店舗は、平和銀行が使うことになっているんですよ」
神山社長が平然と言った。
「だったら、銀行に掛け合って縮めろ」
伊室も負けていなかった。彼はめずらしく語気を荒げて言った。
「このビルは賃貸ビルですよ!」
「そんなことは分かっとる!」と神山。
伊室が冷静さを取り戻して、噛んで含めるように言った。
「だったら、店舗とロビーを比較して、どちらを縮めるのが経済的か、
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