ふと、頭に浮かぶ唄がある――懐かしいような、物悲しいような、何とも形容しがたい不思議な感情を呼び覚ます唄。
私の場合は『ケセラセラ』である。
ケセラセラ(なるようになる)このスペイン語に由来するフレーズは、私の生き方の指針となった言葉だ。
若年の頃、生真面目な性格とのんびりした性格の狭間で、仕事上の行き詰まりを感じていたとき、40歳年上の大先輩の一言に救われた。
「きみ、人生はケセラセラだよ。何事も、なるようにしかならないんだから」
そう言って大先輩は、古い映画を見に連れていってくれた。ヒッチコックの『知りすぎていた男』。
その中で、ドリス・デイが歌っていたのが『ケセラセラ』である。
〜Que sera, sera Whatever will be, will be〜
この歌は日本でも、ペギー葉山や雪村いずみが歌っていたが、私はドリス・デイの歌が一番なつかしい。
ケセラセラを知って、肩の力が抜け、何事も気楽に、その分、幅広く見れるようになった気がする。不思議なことに、仕事も順調にこなせるようになった。
この恩人である大先輩には、家の食事に招かれたり、落語の寄席に誘われたり、とにかく公私に渡って、色々とお世話になった。
ケセラセラに関連して、もうひとり、忘れられない人物がいる。
Kさんは私より6つ年上で、私が唯一、社内で男色関係を結んだ人物である。
コロコロと太った、根アカかつ温厚な人で、お互いリタイアした後も、年に1度のOB総会の後、密かにホテルで旧交を暖めている。
Kさんはカラオケが大好きで、裏声を使って、女の唄を好んで歌った。晩婚で、ひと回り若い奥さんがいたが、その奥さんがくも膜下出血で倒れ、そのまま不帰の人となった。
男好きだが、奥さんも心から愛していたKさん。その彼を慰めるため、泊りがけで箱根に連れていった。
その夜、Kさんは奥さんを忘れようとするように、ベッドの中で乱れに乱れた。独特の高い音程で善がり声をあげ、全身をうねらせて行為に埋没した。愛の交感は、1時間以上も続いた。
すっかり終わったとき、Kさんは性も根も尽き果てて横たわっていた。
ひと呼吸おいて、冷蔵庫からビールを取り出しているとき、ふと背後から声が聞こえてきた。
ベッドの上で、向こう向きに横たわるKさんが、小声で歌っていた。まるで天国の奥さんに語りかけるように、しみじみとした調子だった。
〜ケ、セラ、セラ なるようになるわ 先のことなど 判らない 判らない〜
途切れとぎれに歌うKさんの後ろ姿を見て、私は何とも言えない哀切を覚えたものである。
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