(1)
警察が引きあげたあと、貴志は藤沢兄弟と町に出た。大橋の入院している病院に行く和泉夫人が、車に同乗させてくれた。一郎が仁王山に登ることを伝えると、渡辺が車を運転しながら心配そうに言った。
「お気をつけてください。仁王山は、さほど高くはございませんが、昔から神隠しの多い山です」
「神隠し?今の時代でも、そんなことがあるんですか?」
一郎が驚いて訊いた。
和泉夫人が上品に笑った。
「渡辺、みなさまを怖がらせてはだめですよ。もちろん神隠しなんてありませんわ。でもお気をつけください。あの山の地下には、鍾乳洞が縦横に走っているそうです。なかには地上に口を開けているものもありますよ」
「へーえ、面白そうだな。鍾乳洞を見物してみたいな」
貴志が言うと、夫人はあわてて言った。
「それはおよしなさい。洞窟のなかに迷い込んだら、出られなくなりますよ」
「案外、神隠しというのも、そのへんからきてるかも知れないな。洞窟で迷子になったりして――」
一郎がつぶやいた。そこで思い出したように、貴志に言った。「ところでタカシくん、あの神戸からきたご老人が、きみを探していたぞ」
「あの、じっちゃん坊やが?ぼくは、いつもいないと答えてください」
「なんだ、その、じっちゃん坊やって」
「とっちゃん坊やにしては、歳を食い過ぎているでしょう?」
貴志はすまして言った。
和泉夫人がおしとやかに笑い、英二がそっと貴志の脇腹をつついた。
「きみは相変わらず口が悪いな。とにかくご老人は言ってたぞ、きみと露天風呂に行くんだって」と一郎が言った。
「ぼくは行きません。あのじっちゃんの動機は不純ですよ」
「なんだ、不純な動機って?」
貴志は、その質問を無視した。その横で英二が言った。
「誰かがこの町に来ることを決めた理由は、露天風呂があるからだそうだよ。湯に入りに来る人は、皆お肌がきれいだって聞いたら、とたんに乗り気になったんだって」
「なんでそんなことを――」
むきになって反論しようとして、貴志の言葉は尻すぼみになった。
「おや、お館さまがおっしゃってた誰かって、やっぱりタカシのことだったか」
「――」
貴志が沈黙すると、英二の兄が言った。
「なるほど。今朝もにやけた寝顔をしていると思ったが、あれはそんな類の夢でも見ていたんだな」
そのあと貴志は、町に着くまでずっと無言で通すことにした。
貴志と藤沢親子は町の商店街をぶらつきながら、山歩きに必要なものをそろえた。小型のリュックサックと水筒、それにおやつのチョコレートやスナック菓子を買った。
一郎は山歩きに向いているズボンを持っていなかったので、英二の勧めもあって、ジーパンを買うことにした。
一郎が店員に手伝ってもらって、XLサイズのウエストのジーパンを苦労して試着するのを見ながら、貴志は英二に言った。
「なんで、お兄さんにジーンズを勧めたんですか?」
「太めの年配男性のジーパン姿って、かっこいいじゃないか。きみはアメリカの映画俳優のウィルフォード・ブリムリーって知ってるかい。でっぷりと肥った爺さんだけど、彼のジーパン姿は最高だよ」
「だけどジーンズは、ぼくのように足が長くて、ヒップのクリッとした人間のためにあるんですよ」
英二は貴志をにらんだが、あきらめたように肩をすくめた。
一郎は、なんとか自分のウエストに合うジーパンを見つけたようだ。店で裾直しをやってもらう時間を利用して、こんどはスニーカーを買いに行くことにした。
シューズ・ショップで偶然、俊信と出会った。
「やあ、俊信さん。あなたも靴を買うんですか?」
一郎が声をかけると、和泉家の次男坊が振り返った。
「ええ、東京から履いてきた革靴ひとつじゃ、不便で仕方ない。だから運動靴でも買おうと思いまして。それにしても、3人おそろいで仲が良いですね」
「仁王山に登るんです。たまにはハイキングもいいと思いましてね」
俊信は眉を曇らせて言った。
「仁王山に行くんですか。よしたほうがいい。あそこには鍾乳洞が竪穴になっていて、地上に通じているものもある。落っこちたら大変だ」
「ええ、あなたのお母さんにも注意されました。じゅうぶん、気をつけますよ」
それを聞くと、俊信は安心したように、別れを告げた。
歩き去る俊信の後ろ姿を見ながら、一郎がつぶやいた。
「なかなかの好男子だな。それに、誰かと違って、親切で思いやりがある。毛並みもいいし――」
「お父さん、その誰かって、誰のことです?」
貴志が後ろから不服そうに言った。
一郎は振り向くと、オヤというように貴志を見た。
「いちいち言わんでも、わかってると思ったが――」
「なんか、お父さんの言うことは刺があるなあ」
「刺――」
一郎はニヤリとした。「きみはときどき、面白いことを言うね。刺はバラのように、美しいものにあるんだよ」
昼食を済ま
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