(2)
貴志は楠部の運転する軽トラックに乗せてもらい、郷土歴史家の太田の家に向かった。
道すがら、楠部が太田のことを話した。
「以前、太田先生に大変お世話になりました。子供が熱を出したとき、たまたま町の医者が外出していて、先生が診てくれたのです。先生は東京でお医者さんをやっていたそうです。牛乳配達は、そのせめてもの恩返しです」
楠部はよほど義理堅い性格をしているようだ。口数の少ない朴訥な男らしく、貴志の質問には答えるが、自分からあまり話をしなかった。それでも貴志は、楠部と一緒にいると、心のなごむのを感じていた。
そこで、気になっていることを訊いた。
「大橋さんとは何かあったのですか?」
「どうしてそんなことを聞かれるのです?」
楠部は貴志をチラリと見て、逆に聞き返した。
「だってさっき、大橋さんはなんだか楠部さんを恐がっているみたいでしたよ」
少しの間があって、楠部はきっぱりと言った。
「それはあなたの思い過ごしです。大橋さんと私の間には、とりたてて言うことは何もありません」
貴志はそれ以上、追及することをやめた。そっと楠部のほうをうかがうと、楠部は口を真一文字に引き結んで、前方を見ていた。
太田の家は、温泉街の近くの小さな木造平屋建てだった。楠部は親しげに太田と挨拶をかわし、牛乳を渡すと、妻に頼まれた買い物にでかけた。
太田は貴志の訪問に大喜びで、逃げ腰になるほど熱烈に歓迎してくれた。着古した作業ズボンとランニングシャツで包んだぽってりとした体型は、学識者と言うより、田舎の人の良い小父さんといった風情だ。
家の中は、所狭しと資料が積みあげられ、それこそ足の踏み場もないほどだった。壁面や棚にも郷土民芸品や書籍があって、なかには古ぼけて、どの時代のものともわからないような物もあった。
太田は独り身らしく、自らいそいそとお茶の用意をした。
「あの本は読んだかね?」
お茶を湯飲みに注ぎながら、太田が訊いた。
「まだ最後までは読んでいません。嘉信が戦さをやめて、内政に力を注ぎだしたところまで読みました」
「そう――どうだね、そこまで読んだ感想は?」
貴志はちょっと考えた。
「そうですね、まず感じたのは――嘉信という人物は客観的にものごとを見る人だな、と思いました。それに視野が非常に広い。あんなに広範囲な視点で世のなかを見て、たえず学習しながら独自の道を切り開いていくというのは、あの時代にとても信じられない気がしました」
太田は、まぶしそうに貴志を見た。
「きみは若いのに、奥の深い考え方をするんだね」
「ぼくの考えじゃないですよ。嘉信の考え方に、共感を覚えただけです」
「だから奥が深いと言ってるんだよ。それにしても、古い文語体の文章をよく理解できたね」
「ぼくは国文学を専攻していますから」
太田は、納得してうなずいた。そこで、思いついたように質問した。
「きみとお館さまは、どういう関係なの?」
「どういう関係って――爺さんとは東京で、ひょんなことから知り合っただけです」
「そう――」
太田は、独言のようにつぶやいた。「これも何かの縁かも知れないな」
老人はふと思い出したように、ズボンのポケットから古めかしい懐中時計をとりだした。ずっしりと重そうな、金メッキの時計だった。
「レトロな時計ですね」
貴志が言うと、太田はいかにも嬉しそうにほほえんだ。
「私の一番の宝物だよ。父の形見でね。天皇陛下から戴いたものなんだ」
「へーえ、すごいものなんですね」
彼は時刻をチラリと見て、ポケットにしまった。分厚いレンズの奥から、フクロウのような目が貴志をまっすぐに見た。
「ところで、きみは体格がいいね。なにかスポーツでもやっているの?」
「剣道をやっています」
太田の目がきらりと光った。彼は静かに言った。
「和泉嘉信は身の丈、6尺の偉丈夫だったという。ちょうどきみの身長と同じくらいだ。それに剣道の達人だった。――ちょっときみの手を見せてごらん」
太田が貴志の手を掴んで、手のひらや指をなでた。太田の手の感触は、およそ肉体労働とは縁のないように柔らかい。
「しっかりした大きな手だ。きみもかなりの使い手だね」
そのとき、玄関のほうで人の声が聞こえた。
「先生、帰ってきたぞ。先生――いるのか?」
その声を聞いて、太田の顔がうれしそうにゆるんだ。彼は貴志に断ると、いそいそとして表に向かった。
太田が連れてきた客は30代半ばの、まるでファッション誌から抜け出したように優雅な男だった。背は貴志と同じくらい、スラリとして、筋肉質の体型をしている。色白の端正な顔は、なんとなく見たような気がした。
男は貴志の姿を見て、警戒するような目つきをした。
太田がふたりを紹介した。
「こちらは東京から来た速水くん。お館さまのお客さんだ。――こちらは和泉俊信くん。和泉家の次男
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