(10)
表彰式の終わったあと、年配の夫婦が貴史にサインを求めてきた。マイアミビーチで、貴史がトレーニングを積んでいたときに出会った、アメリカ人の夫婦だった。
「ハイ、タカシ。優勝おめでとう。それに、素晴らしいスピーチだったよ。約束通り、今度はプロゴルファーとしての、きみのサインをもらいに来たんだ」
「ああ、たしか――ミスター・スタンフォードだったね」
「イエス。ジムだ。ジミーと呼んでくれ」
「ジミー、マイアミからわざわざセントアンドリュースまで、観戦にやってきたのかい?」
「ケイトもわたしも、暇はいくらでもあるからね。それにジ・オープンは毎年見に来ているんだ」
老人は、頭にかぶっていた白いハットを脱いだ。
「このハットにサインしてくれるかい?」
「お安い御用です」
貴史は、老人の帽子にサインをしてやった。
夫の横から、婦人が話しかけた。
「ハイ、タカシ。最後のアイアンショットは見事だったわ。わたしのようなおばあちゃんでも、見ていて血が騒いだわ」
70歳は超えていると思われるのに、彼女の声は若々しかった。
「ありがとう、ケイト。これからも、あんなショットをご覧にいれるように頑張るよ。そのためにも、ジミーとケイトも長生きしてくれよ」
「ああ、わたしらの余生は、まだまだ長い」とジム。
婦人がいたずらっぽく夫の顔を見た。
「わたしたち、100歳は生きられそうよ」
「それから、タカシ――」
老人はポケットから、青色の分厚い封筒を取り出しながら言った。「これはサインのお礼だ。前から渡そうと思っていたんだが、きみになかなか会えなくてね」
封筒の中身は、全世界に展開している、高級ホテルの宿泊クーポン券だった。1ヶ月分はありそうだ。
貴史が驚いて老人の顔を見ると、老人はいたずらっぽくウインクした。
「大丈夫。それは、ホテルからくすねたものじゃないよ。わたしはそのホテルの関係者でね。ツアープロのきみには、役立つと思ったんだ」
「ワオ!ぼくはまだ貧乏ゴルファーだ。やせ我慢はしない。ありがたくいただくよ」
貴史は突然、顔を近づけると、ジムの頬にキスをした。
老人がはにかんだ笑みを浮かべて、いたずらっぽくささやいた。
「タカシ、キスをしてくれるんだったら、ケイトのいない時にやってくれよ」
その夜、貴史は、ボブと連れたってホテルを抜け出し、18番ホールのグリーンに行った。
二人はグリーンエッジの芝生に腰掛け、しばらく黙って、それぞれの思いに浸っていた。人気のない特設スタンドの黒い影が、大きくそびえ立っていた。日中の熱気がウソのようだった。
「ワーオ!ついにやったぞ!」
ふいに貴史は歓声をあげて万歳をし、うしろに寝そべった。
ボブはギョッとして、貴史のほうを見た。
「タカシ、どうしたんだ?」
貴史はニタニタ笑いを浮かべて、ボブを見あげた。
「今になって、ようやく勝利の嬉しさがこみ上げてきたんだ。なにしろ試合中は緊張のしっぱなしで、勝ちが決まった時も、なんだか他人事のように感じていたんだ」
「わたしには、タカシが緊張していたなんて、まったく見えなかったよ」
「じゃあボビーは、まだ完全にはぼくを理解していないんだ。それより空を見ろよ。星が出てるぜ」
ボブも貴史に倣って、仰向けに横たわり、空を眺めた。
「日本でもイギリスで見ても同じだな。星は星だ」
沈黙が続いた。すこしして薄暗闇に、貴史の声がした。
「ところでボビー、最終ホールのセカンドショットのときどうしたんだ。いつものボビーらしくなかったな」
「ああ――あのとき不思議なことに、タカシが勝てると予感したんだ。いや、予感というよりも確信に近かった。そう思うと、とたんに体が震えて、頭の中が真っ白になったんだ。思考能力が停止したようだった」
「どうして?プレーヤーはぼくだぜ」
「ああ、だけどわたしがプレーしているような気分になったんだ。わたしはツアーで1勝もしたことがないけど、初めて勝てると思って。こんなこと言うと、きみは嫌がるかも知れないけど」
「嫌がりはしないさ。でも、体が震えるのはわかるけど、どうして思考能力が停止するんだい?」
「それが一流を極めたタカシと、わたしの違いだよ。きみには分からないだろうな」
「――」
「日本の言葉で、心技体っていうのがあるだろう。技術と体力を持った選手は多いけど、一流選手になるには精神力が必要だと思ってるんだ。そしてタカシには、それがある」
「ボビー、そんなにぼくを誉めても、報酬は上げないぞ」
「そんなつもりで言ったんじゃない。とにかく、タカシの肝っ玉の太さと冷静な判断力、それにここぞというときの集中力。どれをとっても超一流だよ」
「やっぱり、5パーセントアップだ。報酬は15パーセントにするよ」
それから貴史は起き上がった。「ボビー、部屋に戻るぞ。昨日の夜の続きをやるん
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