(1)
「啓太、ドクターの尻尾を引っ張るのはやめろよ。かわいそうに、ドクターの毛が抜けちゃうじゃないか。オーイ、知恵子!啓坊のいたずらをとめろよ」
知恵子が駆けつけてきた。彼女は、ドクターと名付けられたコリー犬から、息子を離しながら言った。
「啓ちゃん、だめでしょう。ドクターの尻尾を引っ張ったら。ほんとにこの子ったら、お父さんに似て、いたずらっ子なんだから」
「知恵子、どこか引っかかるなあ。お父さんに似ていたずらっ子って、ぼくのことかい?」
貴史は家族水入らずで、アメリカのマイアミで生活していた。
彼が事故に遭って以来、はやくも3年が経過していた。その3年間は、貴史にとって、つらく、重苦しい年月だった。
最初のうち、リハビリは順調に進んでいるかに見えた。療養生活で、弱った筋肉を鍛え、左脚の膝もどうにか屈伸できるようになった。ランニングをやっても、膝の痛みはなくなった。
しかし、それまでだった。鋭いダッシュやジャンプは出来なかった。どうしても膝の反射神経が戻らないのだ。手が届きそうで届かない。彼はいいようのない、もどかしさを覚えていた。
金の貯えは十分あった。そのうえ、彼のマンションは他人に貸して、毎月一定の収入が入ってきた。
伴が出版した貴史の写真集は、爆発的な売れ行きだった。野球シーンだけでなく、陸上競技をやっていた時代や、大学時代のバンドをやっていたときの写真、そのほか貴史のプライベートな写真が、人気の理由だった。
購読者だけでなく、貴史本人もその写真集を見て、なつかしい思い出に浸ることができた。そしてまた、その写真集が追加出版されるにつれ、貴史のほうにも望外の金が転がり込んできた。
一方、マスコミ関係から、スポーツ解説の仕事やテレビ出演の誘いがきたり、知恵子の父親から宇野製薬で働かないかと言われたりしたが、丁重に断った。彼は自分に合った働き口を探していたのだ。
さいわい、彼の後援をしていたある大手ゼネコン社長の口利きで、その会社にはいった。大学の時に学んだ建築学の知識が役立ったのだ。彼は会社の設計室で図面を引き、その間に一級建築士の国家試験にも合格した。
しかし彼は、野球への思いを捨てていなかった。毎日、会社の仕事が終わると、リハビリに励んだ。痛みをこらえての脚の筋肉強化。軽い散歩に始まり、ジムでのエアロビクス体操。温水プールでの水泳。膝が曲がるようになると、長い階段の上り下りもメニューに加えた。
村松博士は、いつもリハビリに付き合ってくれた。おかげで脚の状態は見違えるように良くなった。それでも――選手時代の脚は戻らなかった。
途中で自暴自棄になりかけたこともあった。そんなときは、妻の知恵子と二人の子供たちの存在が、彼の気持ちを救ってくれた。
ある日、村松がアメリカの外科医のことを話した。その医者はこれまで多くのスポーツ選手を、手術によって現場に復帰させていた。もちろん、人体にメスをいれるのだ、名医であろうと危険は伴う。それに手術が成功したからといって、完全に治る保証はない――。そんなことを、村松は淡々と説明した。
貴史は手術の道を選んだ。
彼は会社側の好意に甘えて、一時休職にした。そしてアメリカに渡り、村松の話した医者に会った。
アメリカ人の医者は、野球選手時代の貴史のことを知っていた。彼は手術にとりかかるまえに、貴史の膝の状態をじっくりと診察した。そのあと、レントゲン写真を前に、貴史に分かりやすく説明した。村松が付き添いで、一緒に話を聞いていた。
「大腿骨の端部がすこし変形しているね。ほらここだ。膝の関節のところで尖っているだろう。おそらく治癒の過程で骨が異状成長したのだよ。しかしこんなのは問題ではない。削れば簡単になおる。問題なのは、靱帯と神経だ。ほら、これが靱帯だ。ここのところが細くなっているだろう。無理をすると切れるおそれがある。つなぎなおして補強する必要があるな。
つぎに神経だが――これはやっかいだな。へたにいじると、再起不能になるおそれがある。基礎的な手直しだけで、自然に回復するのを待つ以外にない」
貴史は、わらをも掴む気持ちで聞いた。
「素早い反射神経が必要なんです。盗塁したりフライを捕るときの。反射神経は取り戻せるのでしょうか?」
「手術をすれば、人並みの反射神経は戻るよ。でも以前のスーパーマンのような反射神経は――おそらく無理だろうね」
それでも貴史は一縷の望みを託して、手術を受けた。その外科医は最善をつくしてくれた。彼は、気の遠くなるようなデリケートな手術を、みごとにこなしたのだ。
そして貴史は、術後の療養を、そのままアメリカにとどまって、暖かいマイアミビーチで過ごしていた。
――◇――
鋭い風切り音とともに、白球が真っ青な大空めがけて一直線に飛んでいった。
「ナイスボール!」
歓声が
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