(3)

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その年の野球行事がすべて終了したある日、大川監督の引退記念行事が行なわれた。思いがけない優勝に、球団側は大川の慰留に努めたが、本人の意志は固かった。
「みんな、ありがとう。こんな老いぼれに、日本一という最後の夢をかなえてくれて――おれは最高にしあわせものだ。おれは生まれてこのかた、関西には縁がなかった。だけど、関西での4年間は、おれの今までの全人生と引き換えてもいいくらいに思っている」
壇上で挨拶する大川の目には、涙が浮かんでいた。彼は頭の中に刻みつけるかのように、みんなの顔を見渡した。
「どうもおれは、こんな高いところで話をするのは苦手だ。だから簡潔に言う。――いまここにいる阪神タイガースのメンバーは、史上最強のチームだ。それともうひとつ言いたい。野球は技術じゃない。ハートだ。そして、みんなにはそれがある。いつまでも、それを大切にしてほしい。みんな、ありがとう!」
男泣きして演壇を下りる大川に、暖かい拍手が沸き起こった。

そのとき誰かが、貴史にスピーチをしむけた。たちまち全員にせきたてられて、彼は壇上にあがった。
「あ、あ、あ――マイクの調子は――悪いわけないな」
貴史は声をとぎらせた。「ああ――突然のご指名、ありがとう」
そこで彼はこみあげてきて、ふたたび声をとぎらせた。沈黙が流れた。場内の何人かは目頭を押さえた。
しばらくして、貴史は顔をあげた。
「ごめん。さっきスピーチした、年寄りの涙が伝染しちまって。
まず監督、優勝をありがとう。ぼくは正直言って、優勝できるなんて思ってもいなかった。だって学生時代からこれまで、ぼくの所属するチームはよくて準優勝止まりだ。そのジンクスを監督が破ってくれたんだ。
それから、この4年間、監督とはよく衝突したけど、ほんとは心配してたんだ。監督がいつ、炎天下の広い甲子園球場で行き倒れをしないかと」
遠慮がちに笑いが湧きおこった。
「ときどき監督をえらく怒らせたけど――あれは、監督に熱い血を湧き立たせて、若さを取り戻させようとする、ぼくの深い愛情なんだ。
監督、ユニフォームを脱いでも、怒りと若さを忘れないで欲しい。自分が老いぼれてきたと思ったら、遠慮なくぼくのところに来てくれ。ぼくが監督を怒らせて、若返らせてあげるから。
あ、もうひとつ――監督、ぼくは監督といっしょに野球ができて、最高にしあわせだったぜ。ほんまに、おおきに!」
すっかり自分を取り戻した貴史は、壇上から下りると、大川とガッチリ握手をした。報道陣のフラッシュライトが、二人のまわりで一斉に沸き起こった。それが貴史の旺盛なサービス精神を刺激した。彼は大川を抱きしめると、そのほっぺたにキスをした。
貴史の腕の中でもがきながら、大川が叫んだ。
「よせやい、タカ。せっかくおめえの名演説に感動していたのに、これじゃあ、ぶち壊しじゃねえか」

――◇――

貴史は大阪のテレビ局にきていた。劇作家の多岐タローと、対談することになっていたのだ。貴史は小料理屋で偶然その作家と知り合って以来、すっかり意気投合して交友をつづけていた。
「よう、高山はん。あんた、いつ見ても男前やね」
放送が始まるなり、作家が言った。
「おおきに、先生。そういう先生も、齢を積み重ねて、ますます男の色気に磨きがかかってきましたね」
「なんや、この子、会う早々わしをおちょくりおって」
「ちゃいますよ。お世辞を言ったんです。お年寄りは大切にしないとね」
「あんちゃん、わしを舐めとんのか?」
「そんなきたないの、よう舐めませんわ」

局側の司会者が、あわてて二人の会話に割り込んだ。
「ちょっ、ちょい待ち。二人でいきなり漫談を始められると、司会者のわたしの立場がありません――」
アナウンサーの賀来泰平も、貴史や作家と顔なじみで、ときおりスナックで軽妙なやりとりをする仲間だった。
「なんや、賀来さん、あんたおったんかいな?」
「センセ、なんやおったんかいなや、ありませんぜ。この番組は、司会者のわたしが中心になって進めていくんやから」
「ほーう、そうかい。ほな、はよ、しゃべりいな」
「そんな、せかされても――センセって、ほんま、人をやりずらくさせる名人やな。それはそうと、高山さん、優勝おめでとうございます」
「ありがとうございます。さすが賀来さんですね。どこかの礼儀知らずの年寄りと違って、ちゃんと礼節をわきまえてる」
「おい、そこのあんちゃん。なんか言ったか?」と作家。
「ちょっ、ちょい待ちい。そういちいち突っかかってたら、対談の進行ができまへん。センセ、わたしが聞いたときだけしゃべってくれますか?」と司会者。
「そうそう、先生、口を出しすぎですよ。すこし黙っとき」
にやにやしながら貴史が言った。
「青二才が利いた風な口をぬかせ。あんちゃん、わしに張り合おうってのか?」と多岐。
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