第5章 栄光の裏側

(1)

大川監督は、試合前に挨拶にきた高山の顔を観察した。青年の顔は少しやつれて、目の下にうっすらと隈ができている。しかし彼の目には、いたずらっこのような、いつもの生き生きとした輝きがよみがえっていた。
(やっと正気に戻ったか。今日はなにかやってくれそうだ)
大川は若者の挨拶に応え、黙ってうなずいた。

ゲームが始まった。
それまでの鬱積を吹き飛ばすような、貴史の見せるプレーが復活した。2回の裏に、先頭バッターでホームベースに近づいた貴史は、帽子を取って審判に向かって軽く一礼した。高校野球の選手のようなしぐさだった。
相手ピッチャーは様子見に、第1球を外角低めに投げてきた。
貴史はいきなりそれを3塁方向にセーフティーバントした。
深く守っていた3塁手が、あわててボールをとって1塁に投げたときには、貴史はゆうゆうとベースを駆け抜けていた。
彼は、次のバッターのときにすかさず2塁に盗塁をきめ、捕手の悪送球の間に3盗にも成功した。そしてバッターの深いセカンドゴロで、悠々とホームベースに生還した。
2打席目には、彼の豪打が炸裂した。打った瞬間ホームランとわかる大飛球で、あっというまにレフトの場外に消えていった。

「ハイ、タカシ!戻ってきたんだな」
ダッグアウトで、ゲイルが嬉しそうに声をかけてきた。
「ああ、ポール。しばらく試合に出れなかったんで、ウズウズしてたんだ」
「もう大丈夫だな。タカシがいないと、力が入らなかったよ」
貴史は、ゲイルの尻を軽く叩いて揉みもみした。
「ぼくも、ポールのでっかい尻を触らないと、力が入らないよ。見ていてくれ。きょうは大ハッスルするぞ」
貴史は守備でも活躍した。ツーアウト3塁の場面で、長打コースのレフトライナーをダイビングキャッチで捕ると、圧巻は9回の守備だった。4番バッターのホームラン性の当たりを、貴史はものすごい勢いで背走して追った。そびえたつ壁が迫ってきても、彼はスピードを緩めなかった。
あぶないっ!
誰もがそう思った。
貴史はチラリと前を振りかえると、つぎの瞬間、壁に向かってジャンプした。彼は壁の上端に片手を掛け、上に伸び上がると、体をひねって左腕を伸ばした。飛んできたボールが、魔法のようにグラブに吸い込まれた。
貴賓席でそれを見ていた八馬会長は、我を忘れて椅子から立ち上がった。
「ジャスト・タイミング!まるで神業だ!これでこそ2億払ったかいがあった!」
彼にしては珍しく、感情をあらわにしていた。
「会長、高山くんのいまのファインプレーに、特別ボーナスをはずみますか?」
横で小津社長が言った。
すぐ平静にもどった八馬会長は、椅子にふんぞり返った。
「なあに、それには及ばん。アイツとは、そんな約束をしてないからな」

その日の試合が終わると、貴史は知恵子の自宅に電話をした。執事らしい年配の男の声がして、彼女は外出していると言う。年配者の口振りには、ちょっと戸惑いが感じられた。
「あのう――知恵子さんに何かあったのですか?」
「――いえ、何もございません」
執事はためらいがちに答えた。貴史は不安になってきたが、深くは追求しなかった。
「じゃあ、知恵子さんが戻られたら、わたしから電話があったとお伝えください」
貴史は自分の電話番号を告げると、電話を切った。
しかしその日は、知恵子からの電話はなかった。次の日、貴史は練習の始まる前に、知恵子の職場に電話をかけた。
「知恵子、きのうは電話をくれなかったね」
「――ごめんなさい――帰りが、遅くなったから」
「何かあったのかい?」
「ううん、何もありません」
「知恵子、一昨日のこと怒ってるのかい?」
「怒ってません。あ、もうすぐ授業が始まるから、これで切ります。今夜の試合も頑張ってください」
知恵子の口調は、どことなくよそよそしかった。貴史は通話の切れた受話器を手にしたまま、いぶかしげに突っ立っていた。

貴史の戻った阪神タイガースは、破竹の勢いで勝ちだした。連勝が11試合つづいたとき、タイガースはついに首位広島に並んでいた。
試合は残すところ4ゲーム。広島との首位決戦は甲子園球場で行なわれた。
試合前の練習のとき、めずらしく八馬と小津がグラウンドまでやってきた。現場にオーナーと球団社長がやってくるのは異例のことだった。選手たちはすこし緊張して、練習をつづけていた。
「どうだい監督、選手たちの調子は?」
「動きはなかなかいいですよ。いつもどおりの力を発揮できれば、きょうは勝てます。ただし――彼らは、ちょっと緊張しているようですが」
そのとき、バッティング練習でひと汗かいた貴史が、3人のほうにぶらぶらと近づいてきた。
貴史の姿を見て、大川がつぶやいた。
「ひとりだけ、緊張という言葉に縁のない男がいますがね」
貴史が、明るい声で呼びかけた。
「やあ、お偉いさんが
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