(7)

(7)

六甲おろしが吹き荒れていた。
荒れた天候にもかかわらず、貴史は村松博士と二人きりの街歩きを楽しんでいた。彼らは元町から南京町、それから三ノ宮の街を渡り歩いて、ショッピングをした。
「貴史くん、そんなに買い込んで、店でも開くつもりかい」
「クリスマス・プレゼントだよ。こんどぼくのマンションにゲイルが遊びにくるんだ」
実のところ貴史は、初めてゲイルと二人きりの夜を過ごす予定だった。同棲していた男性音楽家がアメリカ本国に戻って、すっかりしょげ込んだゲイルを慰めるつもりだった。
状況によっては、ゲイルと男色行為に及ぶかも知れない。
そんなこととは露知らず、村松は軽くうなずいた。
「それは楽しみだな」
「それにドクターや伴のじっちゃんのプレゼントもあるよ」
言いながら貴史は、横断歩道の途中で、ふと別のことに気をとられた。
「へーえ、じゃあ、わたしも貴史のプレゼントを買うか」
村松は貴史のほうへ振り返った。
しかしそのときには、若者の姿はその場から消えていた。

足下に散乱する買い物袋のあいだに突っ立って、村松は何事が起こったのかと若者の姿を探した。
広い横断歩道のさきに、年の頃4、5才の男の子がいた。青いジャンパーにタイガースの野球帽をかぶり、愛くるしい顔をしていた。道路を渡りおわった母親が、早く来なさいと声をかけていた。
その男の子は、ふと横のほうを見て立ちつくした。黒いスポーツカーがスピードを緩めずに、交差点に突っ込んでくるのに気がついたのだ。
そのとき、かけつけた貴史が子供を片腕で抱え上げ、そのまま前にダイビングした――。
わずかにタイミングが遅かった。
車のバンパーが貴史の脚に激突して、二人の体が宙に舞い上がった。
貴史は左脚に激痛を感じたが、必死に子供をかばおうとして、小さな体を両腕で抱きしめた。彼は落下し、背中から地面に叩きつけられた。
歩道の縁石が背中を強打し、意識が遠のいていくなかで、彼はなおもしっかりと子供を抱きしめていた。
異変に気づいた人々がかけつけたとき、ひとりの老人が、意識を失った若者にしがみついていた。
「貴史――貴史――死んじゃだめだ」
村松博士は、人目もはばからずに泣きじゃくっていた。

「眠ったのか?」
宇野はそっと声をかけて、娘の背後からベビーベッドのほうをのぞき見た。
「やっとね。今日はこの子、ちょっと様子がおかしかったの」
知恵子は振り返って、父親にむかって微笑んだ。
心配そうに宇野が言った。
「どこか具合が悪いのと違うか?」
「大丈夫よ。熱もないし、ちょっとむずかっただけ」
知恵子は蒲団を整えると、赤ん坊の頬にそっと手を触れ、部屋から出ていった。

娘が部屋を出たあとも、宇野はしばらくとどまって、ベッドの中ですやすやと寝入る赤ん坊の顔を見続けた。天使のように無邪気な寝顔を見ていると、いつまでも飽きなかった。
娘がどこの誰とも知れぬ男に孕まされたと知ったとき、温厚な宇野もさすがに怒った。
しかし娘は頑固に、相手の名前を言わなかった。あげくのはては、子供を生むと言い出す始末だ。
娘が出産するまでの葛藤が、走馬灯のように宇野の頭をかけ巡った。
しかし今――こうしてあどけない赤ん坊の顔を見ていると、彼はつくづく幸せを感じた。この小さな生き物――彼の血を受け継いだ赤ん坊は、かけがえのない孫なのだ。
しばらくして、彼は名残惜しそうに赤ん坊の部屋をあとにした。

宇野は居間にもどると、ソファーに座り、テレビをつけた。
近頃は娘との仲も小康状態に収まっていて、家族水入らずのひとときも、苦にならなくなっていた。
彼は娘に声をかけた。
「知恵子、こっちに来ないか」
「ちょっと待って、今お茶を入れてるところだから」
キッチンで知恵子が答えた。
テレビでは臨時ニュースが流れていた。どこかの事故現場の風景。現場に立つテレビ局のアナウンサーが、事故の状況を説明していた。
わき見運転による信号無視。だれか著名人が子供を助けようとして、車に跳ねられたらしい。
テレビの画面に、被害者の顔がアップで映し出された。
宇野はアッと声を上げた。
彼が後援会長をしている、プロ野球選手の高山貴史だった。
「なんてことだ――大変だ」
宇野はつぶやいた。
そのとき、背後で茶碗の割れる音がした。
宇野が振り返ると、娘が呆然として立ちすくみ、テレビ画面を食い入るように見つめていた。その顔は、蒼白だった。
18/03/28 09:44更新 / 神亀

[5]戻る [6]次へ
[7]TOP [9]目次
[*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b