(六)
新之輔は、ようやく保科正之を訪ねることにした。昨年別れて、二月以上が経過している。
(ひょっとしたら、無沙汰をなじられるかも知れん)
新之輔は、気持ちを引き締めた。
保科が住んでいる陸奥会津藩の上屋敷は、品川の海を埋め立てた甲府濱屋敷(のちの濱御殿)に隣接した、広大な敷地にある。
門番に名乗ると、すでに話は通されていたのか、待たされることもなく中に入れた。
右手に家士たちの住む家が立ち並び、よく手入れされた庭木の先に、重厚な造りの母屋があった。
奥の間に通されたときも、新之輔は屋敷の豪壮さに圧倒されていた。
ほどなく保科が部屋にやってきて、床の間を背に座った。人払いされているのか、小姓の姿はなかった。
相変わらず穏やかで、独特の魅力ある顔だった。
保科の顔を見て、一緒に旅をしたときのことが思い出されて、何とも言えぬ懐かしさを覚えた。
「医師に会えたようじゃの」
開口一番、保科は言った。新之輔の話を忘れずに覚えていて、さすが気配りの人と思えた。
「はい、おかげさまで無事、再会を果たせました」
「それは良かった」
保科は相好を崩した。そしてさりげなく尋ねた。「それで、そなたとその医師は、どういった関係なのじゃ」
新之輔は一瞬、詰まった。どう説明するか考えていると、保科のほうで先に言った。
「さぞかし旧交を暖めたのであろうな。いや、なに、そなたがあまりに来ないものだから、余のことを忘れてしもうたかと思うていた」
「――」
なんとも言えずに新之輔が黙っていると、保科が改まった態度で新之輔に言った。
「ところでそなたに頼みがある」
「はっ、どのようなことでございましょうか」
「なに、千住で見かけた紀伊さまに関わることだ」
「して、拙者は何をすればよろしいのでしょうか」
「これ以上は、そなたが引き受けてくれぬ限り話せぬ」
「そんな無体な。もっと具体的に話していただかないと、引き受けるとも何とも返事が出来ませぬ」
「意外に慎重な男だな――」
独り言のようにつぶやいて、保科は言った。「頼む。まずは引き受けると返事をしてくれ。そうすれば詳しく説明する」
新之輔が逡巡していると、保科は横を向いて言った。
「余が苦痛に耐えて、そなたと衆道の契りを結んだのも、無意味だったようじゃのう。それに、屈辱を覚えつつ、そちの悪い指のなすまま、身を任せたのも――」
新之輔はハッとして、顔を上げた。
「ご前、それは強請(ゆすり)でございますか」
「強請?余がそんな無粋なことをするか」
言ったあと、保科は大きくため息を吐いた。「それにしても、そなたとは心が通じ合えたと思うていたが――残念じゃのう」
「――分かり申した。お引き受けいたします」
思わず言って、新之輔は、しまったと思った。
途端、保科の顔がほころんだ。
「おう、引き受けてくれるか。そなたがいれば鬼に金棒だ」
保科のお世辞を聞き流して、新之輔は言った。
「では詳しくお聞かせいただけますか」
「栗橋で余を襲った浪人どもだが、仲間のひとりと思われる男が捕えられた」
「――」
「役人たちにかなり拷問されたようだ。その結果、男が白状するに、余が進めてきた文治政治が気に食わなかったという」
「しかし、文治政治はもともと、藩の廃絶を減らし、ひいては路頭に迷う武士たちが増えるのを防ぐことが目的でござろう。それに、政を進めてきたのは、ご前おひとりではないはず。それがなぜ、ご前だけを襲ったのでござろう」
「それよ。誤解から生じた襲撃か、あるいは余を狙うほかの意図があったのか、それが今ひとつはっきりしない」
「首謀者は分かったのですか」
「捕えた男が言うに、頭は二人いて、どうやら慶安の変の生き残りらしい。その二人は、おぬしが小屋の前で切った五人の中に入っていた」
「では、もう後顧の憂い無しですね」
保科は上品に眉をひそめた。
「それが――そうでもない。伊豆どのは、背後で操っている人間がいる、と申している」
「――」
「伊豆どのが疑っているのは、紀伊さまだ」
新之輔は、馬に乗る堂々とした風采の老武士を思い浮かべた。と同時に、羽山竜之進の顔が浮かんで、なんとなく落ち着かない気分になった。
「なぜ紀伊さまが疑われるのか。それをおぬしに分かってもらうには、これまでの経緯を話さねばならぬな」
保科はとつとつとした調子で、ことの経緯を話しだした。
慶安の変のとき、駿府で自決した由井正雪の遺品から、徳川頼宣の書状が見つかり、頼宣の計画への関与が疑われた。
このとき、松平伊豆守信綱ほか幕閣は、徳川頼宣を江戸城に呼び出して、正雪との関係を詰問した。別室には、いざというときのため、屈強な武士たちを控えさせていた。
頼宣は、「外様大名の加勢する偽書であるならともかく、頼宣の偽書を使うようなら天下安泰である」と意外な釈明をした。つまり
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